2004年10月10日、白井環境フォーラムで素敵な講演がありました。

環境の問題がとても具体的に話されており、一人一人の生活の問題とわかりやすく関連付けられています。

語り口もとても魅力的でしたから、出来るだけそのまま文字にしました。

ホームページでの公開を快諾いただいた中村攻教授に感謝いたします。

起稿者 村夫子

白井環境フォーラム基調講演

千葉大学園芸学部 中村 攻 教授

皆さんこんにちは

ただいま紹介していただきました、千葉大学の園芸学部に昔は造園学科と言っていたのですが、今は緑地環境学科と言うふうなのがございますけれども、そこで都市計画、農村計画をやっております中村でございます。よろしくお願いします

今日は環境を中心的なテーマにして、白井に住んで見えるいろんな生産者から消費者から、あるいは環境問題について実践や学習して見える市民団体の方まで幅広く、環境と言うことを中心テーマにして集まってみえる非常にユニークな組織ではないかと私は思いますけど、その方たちが催されました集会に招いていただきまして、これから5時近くまでゆっくり環境を、白井の環境というふうなことを中心にしながら、今日は先ほどの市長さんなり、会長さんなどからお話がありましたけど、白井の地域の自然と白井市民が環境問題をどう考えて行くかと、自然と環境問題を中心にしてゆっくり考えるという楽しい集会になるんじゃないかなと思います。私も4時間ばかり皆さんと一緒に勉強させていただきたいというふうに思います。

その口火を切るということで、基調になるお話をしなさいと言うふうに頼まれたのですけど、頼まれたテーマが大変豊富でございました。環境についてやりなさい、それから農業についてやりなさい、それから里山についてやりなさい、それから子どもの食育というか食べ物を通じての教育についてやりなさい。いっぱいこういうことについて話をしてほしいと言われまして、いやこれは、ひとつひとつでも大変なのに、こんなのつながるのかなと思いながらやって来て、全部のテーマにきちっと答えられるかどうかは解りませんけど、私なりに考えていることをお話させていただきたいと思います。

中心になっております「環境」と言うのですが、皆さん「環境」と言うのはどういう中身を持った言葉だとお思いでしょうか。白墨がないので・・・。(ここにある・・・)

あの、環境と言うのはですね、ある中心があって周りの状況を環境と言うのです。

普通はですね環境と言う場合は中心に人間があるという、だから人間の取り巻く周りの状況を環境っていうふうに言うんだと思います。中心が人間でないことを言う場合は、たとえば梨の生育環境とかですね、その場合は梨が中心で梨が育っていく周りの状況を梨の生育環境っていうふうに、中心をきちんと言う、そういう言葉でございます。普通、中心を言わないで一般的に環境の時代だよとか環境共生の時代だよというふうに言って使っている場合には、中心は人間でございまして、人間とその周りの状況を環境っていうふうに言うのだと思います。

それで環境の時代と、21世紀は環境の時代って言うんで、皆さんはそれに非常に大きな関心を持って今日もお集まりなんだと思いますけれども、21世紀に環境の時代と言うのはですね、人間と周りの状況、まわりの状況との関係が大きく20世紀から21世紀には変わっていくっていう事でございます。

私たちは今まで周りの状況、環境ですね、そういうふうなものを、どちらかと言うと、その周りのいろんな状況によって私たちの生活が制約されていると、いろんな形で。従って、

環境に対して戦いを人間は挑んで、そしてその制約を打ち破って行くことによってだんだん人間が自由を獲得して行く。そういう、言えば環境ってなのは私たちにとって戦いを挑んで征服していく対象として環境を捉えて来たっていうふうに思いますよ。

たとえば、そうですよね、夏こんなところで、夏に涼しく勉強すると言うようなことは一般的にはなかったことですよね。夏暑いっていうですね、そこに私たちは冷房というですね、そういうふうなものを作り出していく事によって、暑いと言う環境の制約を克服して、征服してですね、暑くても涼しいところで生活が出来るっていうふうに、環境からの制約を冷房って言うふうなものを作り出していく事によって征服して行く。もうそういうことは気にしなくていい。

あるいは距離っていうふうなものも、私、去年だったか沖縄に行ったときにですね、沖縄の琉球政府も昔は偉い人になると江戸幕府までご挨拶に行ったと。そうすると何百日もかけて江戸まで行ったっていう記録が残っていますよね。ところが今では3時間か4時間あればジェット機で“バーッ”って行って帰って来れるんですね。

こういうふうにして、言えば環境から我々はいろんな束縛を受けて、これくらいのものが、だんだん環境に戦いを挑む。暑さだ、距離だ、いろんなものからの制約に戦いを挑んで我々はそれを征服していくって言いますか、そしてだんだん人間は自由を獲得していくって言いますか、そういうふうにして考えてきたわけですね。だから環境って言うのはある意味、征服して行く対象であるという。そしてそれを文明と言ってきたわけです。ですから文明が進歩して行けば行くほど、人間は自由になり、そして環境を支配に治めていく。昔は環境と言うのは大きくて人間はちっちゃかったわけですよね。いろんな形で、環境の中でも特に自然環境によって私たちは小さい生活をしていたわけだけども、そういうふうにして文明を発展させていく。文明と言うのは、極端なことを言えば環境を人間の支配に治めていく戦いのプロセスですからね。そういうふうにして人間は自由になってきた。

そして20世紀の終わりごろには、なんか人間は特別な地球上で存在で、そして人間の欲望ってのはひょっとするとこのままずっと時間がたって行けば、無限に叶えられていくんじゃないかってですね、人間ってのは無限の可能性をもって文明を発展させ、環境の束縛を次から次へと征服して行けるんじゃないかと。そういうふうな錯覚に20世紀の終わりごろには間違えたわけですよね。

ところが、それは間違いだと言うことが20世紀の終わりになってやっと解ってきたといいますか。それは例えばどういうことかと言うと、そういうふうにして私たちが環境に、周りの条件に戦いを挑み激変させて行ったと、周りを。で、自分たちの要求はグーングンとかなえて行くと。そういうふうなことをやって行く中で、今度は環境が激変してきますよね。環境、グワーッと周りの条件が変わってきてしまう。そして、その変わっていくことによって人間そのものの生存が危ないってことが解ってきたんですね。こういうことやっていると、人間そのものの、僕たちそのものの生存が危ないんじゃないかという事が解ってきたって言うのが、言わば、環境時代の幕開けって言いますか。

たとえば皆さんがやられました地球温暖化もそうですよね。地球温暖化にしろ、フロンのオゾン層の破壊の問題にしろですね。太陽の星の中でこんなに人間みたいな生物が生きている星は今のところ地球しかないですね。他に発見されていませんよね。だからたいていの星には生物なんていないのです。特殊な星なのです、この太陽の周りの星の中で。何でこんなことして生物が生きておられるのかと言えば、それは特別な条件があるわけですよね。例えば、オゾン層って言う、地球の周りには、そういうオゾンの層がこうまるーく守っててくれる。したがって太陽から来る強烈な紫外線をそこで分解吸収してくれる。あれが中って直接ピューッと地球に来たら生物はとても生きられないですよね。

ところがオゾン層って言うのが層を作ってくれていて、それが太陽の強烈な紫外線を分解吸収してくれるから、ここで生物が生きられるって解ったら、一遍にフロンガスは禁止されましたよね。世界でどの人間も地球上ではそういうものを使ってはいけない。それは、こういうもの使って便利だ便利だとやっていると、自分の命が危なくなる。人類全体が。そういう事柄が、こう解ってくるわけですよね。

温暖化の問題もそうだと思うんですよね。だんだんだんだん地球が暖かくなってくると、人類の生存が危ないって言うことが解ってきたんですね。そういう時代へと、ま、差し掛かってきているわけですよね。そして、従ってそういう事をこう見ると、環境ってなのは、われわれが征服して行く対象じゃないと。一緒に生きて行く、共存する対象なんだと。今ある私たちの周りの環境は、こういう状況でずっとあって貰わないと私たちは生きていけないとですね。

だから、我々がドーンと座っていて周りの環境を変えて行くと言う時代から、環境が変わっていかないように我々が環境の方に寄って行って、人間が。そして大きな環境に付加を与えないように、人間のほうの生活の仕方を変えて行くっていうですね。我々が変わんなくちゃいけないんだと。我々がいつもドーンと変わらないで次から次へと欲望を発展させて、そして周りを、環境を征服して行くと言う、そういう生き方をやっていると、周りが大きく変わることによって、私たち自身が生きて行くって言う事が危ないっていうですね。だからそういう事やっていちゃだめで、環境って言うのはそういう征服の対象ではなしに、一緒に生きて行く。こっちがあって我々も生きて行けれるんだというですね、そういう対象として環境をとらえなけらばいけないって言う事が解ってきたんですね。そして私たちは今、環境に寄り添って、そして環境を理解し、環境に大きな負荷を与えないように、私たちそのものの生き方を変えて行く、生活の仕方を変えて行くというふうな時代へと入って来ていると思うのです。それが言わば環境の時代というふうなものの時代背景と言いますか、そういうもんだと思うのです。

だから、今日明日どうなるって言うものではないんですけど。しかし、そうですよね、地球が生まれて今日まで、1年に例えて言えば、その地球が生まれてから今日までの一年の中で、地球上に人類、人間ってなのが生存し始めたって言うのは、12月31日の紅白歌合戦が始まって終わるぐらいの短い時間ですよね。産業革命以後これほどまでに環境に戦いを挑んで、そして環境を激変させてきたと言うのは、本当に短い時間なのです。すなわち、地球が営々として築いてきた生物が生きていくための条件を、こんなに短期間に激変させてしまったとするならば、それはもう元に戻すことは出来ないですね、そういうふうに考えてもいいんだと思うんですね。

従ってわれわれの役割って言うか、これから続く子どもの代、孫の代、そういう影響はその本人に深刻に現れてくるでしょうけれども、私たちはその事について責任を持って自らの生活を変えていかなくちゃいけないと言う風なそういうところに来ているという風に捉えるべきだと思いますよね。だからそういう問題を白井の皆さんが環境という物をやっぱり正面に据えて、そして自らの生き方生活の仕方を考えていくっていうことは、それは大変気品の高い行為だと思うんです。明日どうなるっていう問題ではないし、自分の財布にすぐ影響するって言う問題ではないけれど、しかし、場合によってはマイナスになってくるかもしれないし、場合によっちゃもっと不便になるかも解らないんです、ある部分。僕達が変わんなくちゃいけないんだから。だけどもそれは、子どもや孫まで、そういうところまで見たときにですね、非常に大事なですね、私達だけが享楽の部分を楽しんで、つけは全部子ども達が持っていく、孫達が持っていくというそういう生き方をしないということですね。環境を考えて今を生きるっていうことはですね、それは次に続く子どもや孫達にですね、責任のある生き方を私達はするという風な、言わばそういうことなんだと思うんですね。

そういう意味で皆さんがこういうテーマを取り上げて、そして勉強されると、そしてこれだけの人がここに集まって、たぶん皆さんの後ろには今日参加できなかった会員の人たちがかなり数がいると思うんですけども、そういう人たちが白井のまちには居るという事が、誇り高き白井の文化をやがて作っていく、そういうすごい財産なんだという風にまずは思います。

これだけしゃべったらもう20分ですね。

5つぐらいテーマはあって、飛ばさなあかんな、これは!どうしましょう。

それで、環境と共生するって言うことなんですけども、環境っちゅうと私達が生きていく周りの条件です。周りと仲良く生きていくっていうことが環境と共生するって言うことなんです。周りにはいろんなものがありますよね、自然もある、だけど他人も環境なのです。私の環境は私の周りに住んでいる人間も環境なんですよね。その、他人とも仲良く生きていく、競争相手では無し一緒に生きていく仲間なんだっていう風に他人を捕らえていくって言うのも本当は環境共生の非常に大切な要素なんですけれども、今日はその周りの中でも自然と人間が一緒に生きていくというところにある程度絞って次の話をしたいと思うんですよね。自然と人間って言うですね、自然という風なもんも環境の一部ですから征服の対象ではないって言う風に捉えなくちゃいけないと思います。自然によって我々は不便と考えれば不便なものを受けています。だけども自然があることによって我々は生きている。だから、変えれば良いって言う存在じゃ無しに、自然をよく理解して、そして自然が大きく変わらないように我々の生き方も変えるって言うですね、それが自然と共生するって言うふうな生き方の側面だと思うんですね。

自然と共生するって言うことはどういう事なんでしょう。かなり変わってきていますから、白井も。

これは非常に原則的な考えってふうにして理解していただいたほうがいいと思いますけど、自然と人間が共生するって言うことがどんな事なのかですね。もう、そういう共生という姿があれば、まったく姿を変えた姿があるとするならば、白井はこの真ん中どころだと思います。ある部分は変えてきているし、ある部分はまだまだ共生できる財産としての自然を持っているっていうですね。だから先ずそういうふうに理解した上で、人間が自然と共生するって言うことがどういう事かということを考えるならば、一つは自然の中身ですよね。

例えば地形と仲良くすると言うことです。地形をあんまりむやみやたらに変えないと言うことです。だから例えば地形と共生するって言うとどういう事かというとですね、そうですね、まっすぐな川とか、まっすぐな道路っていうふうなのは本来無いのです。自然と共生する、地形と共生する自然の姿と言うのは曲線なのです。川でもこう流れて行く、そうするとこの辺にちょっと固い岩盤がある、そうするとこっちに流れをこう変えて行く、そしてまたしばらく行くとこっちにやっぱりちょっと強い岩盤がある、そうするとこう変わっていくっていうか。だからこうずうーっと蛇行しながらこういうふうにいる、そういう空間の姿なんです。地形と仲良くする空間の姿と言うのは。

直線ってなのは、こっからここに早く到達したいと、お金をかけずにこっからここにしゅっと行けれる様に、時間もかからないようにするとかっていう、人間がいわば人間の欲望に基づいて変えてくる人工的な空間の姿ですね。それが直線って言う。もともとの自然には直線なんてものはあんまり無いって言いますかですね、それはこう曲がっているんですね。川でも道でも。そいでそういうのを見ると心が休まるっていうかですね、少し落ち着けよーっていうか、景色もぱっと、直線だともう終点までおんなじ景色だけれども、こういう蛇行していると、こういうふうに道を歩いていると、こっちの景色が見えてるっ、ほんで岩盤があってこっちに曲がると景色がはーっと、こう変わって行くと言いますかですね。非常に変化に飛んだ空間の演出をしながらこういうふうに行くわけですけれども、まず、地形と仲良くする。昨日台風でしたけれど、あんまり大きく地形を変えると大きいしっぺ返し来るんです。大きいしっぺ返しが来てやっぱりドーンと水がですね、人間の作った空間を突き破って行く、そういうことも起こってくる。

それから、水と一緒に生きるってこともあると思ういます。先ずは地形、それから水。水と人間はどうやって一緒に生きて行くべきなのかっていうですね。水っていうのは本来、水と人間ってすごくこう、共存してきているんですね。私たちの体だって7〜8割は水分ですよ。だから健康な水を摂れるかどうかってことは、私たちの命にとってすっごく大事ですよね。これ半分以上水なわけですから。どんな水を飲んでるのか、水とどう付き合うかってなのは非常に大事な問題って言いますかですね。

水もこういう所だと、里山みたいなところに本当はこう、初めは大地にこう降ってきますよね。そして大地から流れ出る、斜面林を使ってこうちょっと低いところに来る。そうすると低いところに集落がしゅーっとこうある。それは一番最初に人間が食べる、人間が利用させてもらうっていうか、そして人間が洗濯だとかいろんなものに使えば汚れますよね。汚れたらそれを集落のこっちにやっぱり畑、水田なんかがあってそこに流し込んで行く。そうするとそういう植物が、人間が汚したものを栄養分として吸収してくれる。そして一番低い、最後川に流れて行くころには元の姿になって川へこう流れて行くって言いますかですね。だから自分たちがおいしい水を一番初めに戴きながら、そうすれば汚れるから汚れたものをもう一回植物に栄養分として吸収してもらってそして美しい水にかえして川へ戻して行くっていうですね。そういうふうなのがずーっとここを見るとあるのです。こういう集落のこういうそのもともとの地域の中にはあるのです。そういうのを一回読んで御覧なさい、この地形を。ここに降った水はどうやって流れていくんだろーっとそういうのをこう見ながら、やっぱり水と人間がどうやってこの地域のところでは生きてきたんだろうってですね。

川なんかでもそうですよね。こう広ーく浅ーく、こう水が流れる所と同じ川でも違うんですね。ぎゅっと狭まってぐーっと、こう深く流れる所もあるし、それからまた広がって行くと葦津とかいろんなものがある所もあるし、それから大きな木がぐわーっとこう繁っていて、影が常に水面に出来ているところもあるっていうか。本来の川ってなのは一本の川でも姿がうーんと違うんですね。そうするとそれぞれに住んでいる植物も、動物も違うのです。魚なんかも。広ーいー所で、せせらぎのような広ーいとこ、広がったところに棲んでいる魚。それからドボーンと深くなったところに棲んでいる魚。急激な流れのところに棲む魚。あるいは葦津みたいなのもんがずーっとあるところに棲んでいるようなそういう魚たち。それからいつも木陰になっているような所で水温が少し低いところに棲む魚たちっていうですね、川の姿も自然とともにずっとこう変わって行くんですよね。

そこにはだから、人間が作った川のようにおんなじ様な川で水がずーと流れているわけじゃないから、実に豊富な生物がその川には、こう種類としてたーくさんあったって言いますかね。そしてそういうふうなのがこう生きてきてですね。そういうふうなものがまた、めぐりめぐって私たちの生活にも影響を及ぼして行く。だから皆さんも全部がこういうふうな原型じゃなしに、全部変わったんじゃ無しに、白井ってのはたぶん途中だろうっっていうふうに言いましたから、そういうふうな所が残っていたら、川を勉強するって言うですね、そして子どもたちにそう言うことを教えてあげるっていう。人間と水がどうやって付き合ってきたのかって言うことをですね。そういうふうなのもあると思います。

それから水のほかには植物です。植物、みどりと人間が共存してきたってのは、自然と共生してきた大事な要素だと思います。白井でも農村部に行けば行くほど緑が多い。だけど単に緑はあったんじゃないんです。人間はそういう緑、樹木と共存してきているのです。すなわちそれはどういう事かと言うと、樹木の性格をよく読んで、風が強いところには風を切る木を植えているのです。そんな所に落葉樹を植えている人はいないのです、本来。冬、大事なときに葉が落ちてしまうような木はそういう所に植えてないのです。風を切るという役割を持った木、その場所にはそういう木が植えられています。

あるいは崖っぷちみたいな所で地滑りがあると言うふうな所には、しっかりと根を張ったそういう木を植えているのです。地滑りを防ぐために。こういうところは竹なども本当は良く植わっていたのですけれども、竹も管理しなくなって来るとですね、やっぱ根が発達していないから弱くなってしまっているんです。梨でもそうでしょ。やっぱり全部生らしていたらいいものは出来ませんよね。やっぱり適宜摘花して、いいやつをこう残して行くっていうふうにしないといいものは出来ないのとおんなじで、常に竹なんかも間引きをしてやり、竹がしっかりと健康に生きていく条件を作ってやるということが、根を張って地滑りを防いで行くとかですね、そういう風になってくるわけです。そういう斜面で危ない所にはしっかりと根を張って地滑りを防いでいくような木を植えているのです。それからまた、お寺だとか学校だとかそういう人が集まって来るような所には、花の咲く木を植えているのです。桜だとかいろいろ。見て楽しいっていう木を植えているのです。人々が、地域の人たちが集まってくる所にはですね。そして集落のそれぞれの屋敷のところに入って行くと、それぞれの家の屋敷の中には、生り物の木といって柿の木とか、果物が成る木を植える。一本ぐらいは。そして作物が採れなかった時には食べ物の生る木に命をつないでもらうよっていうですね、そういう気持を込めて、やっぱり農家の集落の中には、古い集落の中には、ちゃんと生って食べられる木を植えていくっていいますか。木だって何でもいいからやたらに植えているのでは無いのです。やっぱりそれぞれの木の性格をよく理解して、人間に必要なところに必要な木に役割を果たしてもらうっていう形で樹木は植えられているのです。

そういうことをしっかり勉強する。地域の緑ってなのがどういうふうな論理でそこに立って待っているのかと。それと人間の関係が読めてきます。そういう地形や、水や緑や、そういうふうなものと人間がこう共存してくるっていう事が。一緒に生きていくと。それぞれの性格をよく理解してですね。そしてそれをあんまり変えてしまったり無茶苦茶するんじゃなしに、自分の都合だけで。その性格をよく理解してそれと一緒に生きるって言うですね、そういう姿が、自然と人間が生きて行くっていう空間の姿を作ってきているのです。そういうものを皆さんは是非、白井のふるーい集落の中から読み取って、そして新しく作る町の中にもそういう風なものを生かしていってほしい。そういうものを。やたらめたらにいろんな植種を植えるんではなしに、地域がはぐくんできた、適材適所にはぐくんできた、そういう緑を、何でここにこいつが植わってんのか、子どもにお父さんが説明できるですね。水はこっからこう流れて行って、それぞれこう白井のまちの中に降った水は、どう流れていて、そして最後はどの川へ行って、こう流れて海へと注いで行くのかってぐらいは知っていないといけないと思うんです。

その上でどこをいらっていいのか、どこは開発してもいいのか、ここは残して置かなくちゃいけないんじゃないかっていうような事を、こう考えて行くって言うですね。だから環境と共生するって言う、僕もいくつかの自治体で環境基本計画みたいなのの作成にも関わりましたけれども、文字は出ているんだけれども、地形や水や植物の実態すらちゃんと調べないで計画作られちゃっているっていうか、そういうのきちっとこう読んで環境基本計画を本当に中身のあるものにこうしていくと言うふうな事がこれからやって行かなくちゃいけない事だと。白井には白井の自然と言うものがこうあって、それを知らなければ、白井の市民がそれとどう共生するかなんて事はなかなか実際的じゃないですよね。理屈の上で環境共生って言って。先ず自然を読むって言うことが自然と共生して行くときには大事だって。地形を読み水の流れを読み、それぞれの水のところで人々はどうやって水と関わって来たのかってですね。それを断ち切って来ていますから、今。それをもう一回、人間と水の関係を体感できるようなですね、そういう空間を。子どもたちが川で魚を捕るって言ったって、釣る場所と入っていって手でつかむ場所は違うのです。そういうのを演出してあげなくちゃですね。そういう自然を先ず読んで、白井の自然を読んで、そしてそれを新しいこれからのまちづくりに生かしていくってことが必要なんだっていうふうに思います。

で、それは一般的な原則論でですね、それぞれが途中まで姿が変わってきていますから、出来ることと出来ないことが現実的にはありますけれども。それで、今の白井を見たときに自然との共生で、これは現実的な問題としてですよ、皆さんに今言ったのは原則的な問題で、変わっている部分もあるから、出来ることと出来ないことありますけれども、しかし、現実的に今の白井の実情を見たときに自然と共生する上で考えなくちゃらない問題として、僕は里山の問題を最初に取り上げたいなと思います。里山がいっぱいあるんだよね、まだね。

皆さんはいいんです。座って、眠ければ寝ててもいいんです。(笑い・・・)わたしゃ立って常にしゃべってなきゃいけないんです。水くらい飲んでもいいんですよ。

私も今みなさんの学習する環境なんです。ね。だから環境にやさしいって事は、私に優しいってことは、いい勉強するための条件なんですよ、本当に。

里山ですね、里山って言うのは先ほどもご説明があったように、大自然ってなのじゃなしに、里に残った、こういう人々の住んでいるところに残っている人間の手の入った山ですね、自然。白井なんかは全部ここにある緑地みたいな部分、自然。もともとあったところは全部里山っていうふうに言っていいんだと思います。大きい小さいはあってもですね。で、この里山って言うふうなのはですね、日本のひとつの原風景だったんですけど、日本人にとって。

だけども本当に開発に弱いんです。だから里山はぐんぐん開発の中で、こう無くなっていく。農地よりも弱いんです。農地は農地法とかって、法律によっても食糧の問題で守られているんですけども、里山っていうふうなものは非常に開発に対して、緑地みたい山みたいなのは、ほとんど守られていない。法律の網がかかっていないで、しかも安いんです。だから先ず里山みたいなところ、山みたいなところから開発は進んで行くって言うのは一般的なんですよね。それと同時に農地のほうにあった里山も、農地の基盤整備なんかをやるときにですね、農家の人たちが自分の農地が減って行かないようというふうなので、里山なんかを全部無くしていってしまうってですね。そういうふうにして、ま、いわば、農地を整備して行くときにも里山は、こう無くなっていったし、それから宅地を開発する時にも一番先に里山みたいなところがですね、こう無くなっていく。

持っている人も市街化区域なんかに入ってくれば、里山ってなのは、これは税金上、農地みたいな保護政策が無いですから、先ずはじめに手放していくって事にもなりますから、非常に弱い。だから、すごく姿を消してきている部分でもあるんです。

それと同時に、まだ手付かずに残っている所もありますよね。それが白井にはまだまだあるって言うことですよね。こういう所は逆に荒れ放題になっているんです。先ほどご挨拶の中にもあったように、こっちゃ荒れてるんです。だからはっきり言うと、無くなるか、ろくでもない里山しかない。口では里山、里山って言っていてもですね、本当に里山大事か?と言うと、千葉の里山条例ってのもあるんですけれども、うまく活用している所って殆んど無いんです。ブームで一応そういうのほーほーほーって出てるんですけどですね。

ここひとつ考えなくちゃいけないですね、どうするかってですね。僕は今、都市計画では子どもと犯罪の問題をずっと研究しているんです。皆さんも時々僕を、そういう話をテレビなんかでもやっているんで。そっちの方を今、中心にやっているんですけど。僕はどっちかと言うと、都市計画と農村計画を両方やっるって言う人間なんです。都市計画だけやるとか、農村計画だけやるとかっていうんでは本当はだめって言うふうに、僕は学生のころ教わってきたんです。いい街を作ろうと思ったなら農村のことを知らなくちゃいけない。いい農村を作ろうと思ったら都市のことを知らなくちゃいけない。この、都市と農村と言う二つのまったく異なる文化というものは、お互いが刺激しあって、そしていいものが出来て行く。だから都市のことしか知らない人で、いい都市は出来ませんよ。農村のことしか知らない人には、いい農村は作れませんよって言うか、両者を知った上でこれがお互いにどう刺激しあっていくかっていうふうにして、都市を作り農村を作っていくっていうかですね。ま、そういう風なことをずっと教わってきたもんだから、常にこれ両方やってるんです。で、こっちのほうでは犯罪の問題をこう、やっているんですね。

例えば犯罪の問題でも、皆さん、北須磨の、神戸のサカキバラ事件ってあるじゃないですか。テレビなどでタンク山、タンク山って言って、生首切られた所を見たと思うんですよね。あそこは7万人くらいの団地なのです。その中で、だからそこの丘陵地みたいな所を、多くある所を開発したんです。開発って、そういうのが多く含むところをやるのが一般的なんです。安いですからね。だから丘陵地みたいなところと低くなっている部分が合体して、そういう団地、新しい街を作ってきたとこなんです。そこで、タンク山ってなのは、いわば関係者が一生懸命になって残した里山ですよ。ある意味では。もともとあった、その雑木が生えている、そのところを少しは残そうよと。やっぱり自然を残そうよと。そういうふうにして関係者が一生懸命開発の中で残した、その緑がタンク山なのですよ。残す理由としてそこに団地全体のタンクを埋めて、そういう役割を持たしながら、上の方を保存して行くというふうな形で、言えば残した山なのです。ところが、そこが犯罪の現場になるのです。そこで首切られているのです。

つくづく思うことは、人々が住んでいるこういう里地では、自然を残すのは残すだけではだめっていうことです。その自然を活かす、地域の人たちがそこに入って行っていろいろ楽しむって言う実態が無いと、あるだけで、形だけを里山みたいして残しておいても、そこは荒れて行くのです。危ないのです。山ん中ならともかくも、こうやって街みたいに周りがなって来た所で自然を残して行くっていうふな事を考えるならば、残すだけではだめです。それにいかに入って行って、その里山があることを楽しむかと言う、そういうソフトな開発をいっぱいやって行かないとだめなんですよね。

先ほどのご挨拶にもあったように、里山ってなのは、かって山ってなのは、すごい財産だったのです。そこで燃料はほとんど採っとったのです。地域の人たちが行って。入会権みたいなのがあって、山に入るってのは相当権利が要ったんです。そしてそこで柴採る、焚き物を採ってくるんです。だからいつも綺麗にされているんです。下も刈って来るのです。で、持ってきて燃料にするのです。枯れた木なんかも全部採って来てるんです。あるいは落ち葉みたいなもんがいっぱいこういうふに、秋になれば落ちてくれば、そしたら雪が溶けていけば、その葉っぱを全部肥料にして持ってきて、やっぱり畑の肥料にして使っていったんです。そして、ぜんまいが生えているとか、場合にってはマツタケがあるとかきのこがあるとかですね。いろんな、そこに生えているいろんなものを、あけびがあるとか、なんか山葡萄が生っているとかというふうなものがあって、子どもも大人もそういう季節のいろんなそこに生る物を、出来るものを採りに入って行ってるんです。そしてそれ楽しんでいるんです。小鳥を捕っているのです。小鳥を捕りに山へも入っているのです。そして小学校なんかが遠足ともなれば、そういうちょっと大きい里山に出かけていってみんなが楽しむ空間でもあったのです。すなわち、里山っていうふうなのは、地域の人々にとっては生活上大変重要な山だったんです。

ところが私の生活の中で、燃料はプロパンガスとか都市ガスがバーーと入ってくると、もう山なんか用は無いよ!ってですね、そういうふうな形でだんだんだんだんこう入って行けない。そういうふうになってきて山だけ残しても、これは危ない。そして樹木もきちっと管理しないと、崖っぷちで緑があって、それが地滑りを防いでいるんだけども、全部細いへんちくりんの、あんまり根っこも発達し無いような力のない木になってしまってですね、そして崖すべりなどを防げない。やっぱり入っていって、竹なんかもきちんと伐って使うっていうですね、そういうふうな生活がここにはあるって言うなのが必要になって来るわけですよね。

だから私は、ここで、白井で皆さんが里山を残して行かれるって事は、ほんとに大事なことです。これは。里山は自然の宝庫です。今言った様に。いろんな自然と人間が生活を楽しむことが出来る、そういう宝物がいっぱいある、これからは大事な空間です。だけどもそれは残すだけではだめなのです。いかにその里山と関わって生活を楽しむかというですね、今日的な楽しみの仕方というふうなものを、やっぱり里山との関係で作っていかなければいけないと思います。そうしなかったら置いておくだけでは駄目なんです。すごいんですよ、自然というのは。皆さん。すっごく激変していく、人間が変わってやっぱりいつも手を入れながらしていくのが里山ですから。これは自然林じゃないのですから。だからそこに入っていろんな形で皆さん生活を楽しむっていうですね。市川なんかではやっているじゃないですか。そういう緑を、里山のような都市の緑を残したい人たちが、コンサートを開くとかですね、いろんな形で山を楽しむ山の音楽会。森の音楽会。そういうふうなものもやりながら、こう、楽しんでいくっていうか。そういう残すから活かすっていうですね。里山を残すんではないんです。里山を活かすのです、まちづくりに。そういうふうなやっぱり関わりをもっと作っていって、本当に里山があって助かるよと、楽しいよというふうな、そういうやっぱり活動をこの分野では期待したいなーっていうふうに思います。

それから、この里山と同時にもうひとつの自然的要素として地域の農業ってものがあると思います。これはまったく自然の姿ではないですけども、やっぱり自然としての植物を対象とした、非常に大事な地域の環境の要素になっているというふうに思います。これとどう付き合って行くか、白井に農業があることが白井の市民にとって、5万何千の市民にとってやっぱ宝だというですね、そういうふうな、農業を農民と市民が協力しながら創っていくかということは大事ですよね。ここで農家の方も見えると思いますし、農家でない方も見えると思います。僕みたいなものでも白井と言えば梨と、例えば考えるじゃないですか。皆さんはそれぞれ都市住民の人は故郷があると思います。故郷に白井の梨だよって言って送ってあげている人、何人いるかな?白井って何なの?って言ったらですね、それぞれの地域の特産を、こう形成していくのは農業なのです。農業は地域性を持っているのです。だから、その地域でなければ、こういうものはこうやっては作れないよっていう性格を持っているんです。だから、そこの地域性って言うふなものを楽しもうと思えば、やっぱりそれは、農業っていうふな物とかかわっていく事が大事なのです。

少し、農業ってことをどう考えるかっていうことをお話したいと思います。そうですね、何しゃべろうかなと思って考えてはいるんですよ。限られた時間の中ですからね。授業だったら「じゃ、来週」って言っておけばいいんですけども。(笑・・・)

あのね、人間はもともとはみんな農民ですよ。そうですよね。都市ってなのが生まれてくるのは、日本で言えば、ごく最近の平城京とか平安京とかなんか、もうちょっと古いかもわかりませんが、そのへんからじゃないですか。都市が生まれてくるってのは。それよりも古い何千年も前の人類の、日本人のそういう生きてきた歴史ってのは、みんな農民なわけでしょ。そうですよね。

どうやって都市ってなのが生まれてきたかって言えばですね、それは農業生産力の発展が都市を生み出してきたわけでしょ。農業が発展して生産力が高くなってきてですね、そして、非常に俗っぽい事例を出せば、一家族の農民が二家族分の食糧を生産できるというところまで生産力が高まってくると、一家族だけは農業をやらなくてもいいっていう人が、社会的に許されるようになってくるわけですね。生産力が低くて、みんなが自分の食うもんしか生産できないよと言うふうな段階ではみんな農民です。農業が発展してきて生産力がついてきて、一人の農民が10軒や20軒分の食糧を生産できるという力がついてくると、八軒とか九軒とかが、その一軒とか二軒の農家に依拠して農業以外のものに従事できるようになり、商業や工業を興し、都市を形成していくわけでしょ。そうですよね。だから、都市を生み出した母なるものは農村なのです、農業なのです。そして、今なお厳然として私たちが生きている、都市住民を支えている父なるものも農業なのです。

農業が廃れたら、私たちは廃れていくのです。例えば第二次世界大戦のとき、最も最近の例で言えば。そのときには300万人ぐらい日本人も死んだわけですから、農村からも若い人たちがいっぱい戦地行きましたよね。そしたら農業の生産力ってがたっと落ちたじゃないですか、そしたら都市会の人はどうしましたか。みんな空き地にいも植えたりして、半分農民に返って行くのです。だあれも自分の食べるものを他の人が作ってくれなくなったら、みんなお百姓さんに戻って行くんです。それ、当たり前のことなんです。だから都市は自立できないのです。農業があって、農業に支えられて都市と言うふな物はあるのです。

こういうことが日本じゃあんまりちゃんと考えられてなくて、なんか、都市は自分だけで生きてける見たいに思ってるね。こりゃ、ヨーロッパと違うとこですよ。ヨーロッパはやっぱり、都市も大事だけども農業も大事って言うふにして行くのはなんでかって言えば、それはそういうちゃんとした哲学がある。都市だけでは生きて行けないっていう哲学がちゃんとある。都市の側に。

これは、植物と動物というふな物を取ってみてもそうです。私たち人間は動物です。私たちは、自分では生きていけないのです。従属栄養生物って言うんですよね。従属してるんです。何に従属してるかったら、植物です。植物を食べてはじめて動物は生きていくんです。そうでしょ。だから植物だけは自分の力で、太陽のエネルギーを借りて、そして生きていくエネルギーを作っていくことが出来るんです。皆さんもそこら辺の農家の人の田んぼ借りてですね、穴掘って水浸してこうやって立ってて御覧なさいよ、裸足で。根なんか生えてこないよ。(笑・・・)死ぬだけやほんなもん。死ぬだけなのであります。すなわち、動物と言うふなものは、生き物の中では、植物に従属してるのです。そして生きているのです。だから、植物が滅んだときに動物は滅ぶのです。

従って、その動物たる人間は、その動物の代表である人間は、植物と言うふな物に対してきちんと配慮をするって言うことは、自分が生きて行くうえで大事なのです。そしてそれを産業としてやっているのが農業なのです。農業が廃れて都市が生きて行けれるってことは無いよね。先ほど言ったように、都市の自立なんてことは無いのです。これは明らかに農村や農業、そういう植物、そういうふうなものが健康に発展して初めて、私たちも健康に生きられるし、都市も健康に発展して行くことが出来るのです。そういうふうな哲学が、日本の中にはいつしか、この数十年の間に無くなってしまった。

そんなもん、人間って生きてけれるよとか、都市なんか農村なんか無かったって生きてけれるよとか、中国から買って来たらいいじゃやねえかとかですね、乱暴な。中国だって13億か14億の民が住んでるわけですから、いつかあそこだって食糧輸入国になりますよ。いつまでもそんなもんを、日本に輸出してくれているって言う保証はどこにも無いですよね。だからどこの国でも先進国は食糧自給率ってのは上げているのです。

農業って言うふうなものは、その国が自立し、そこの国民が健康に生きていくためには、自分の国で基本的な責任を持って行かんといかんというですね、そういう風なフィロソフィーがあるとかですね、そういうふなものを、私はやはりここの白井のこういう環境フォーラムなんかでしっかり持って、白井の市民が白井の農業を守って行くというですね、そしてまた農民の人もそういう自覚を持って、いのちの源泉を自分たちは生み出しているっていうですね、そういう自覚の高い農民に育って行ってもらう。それがお互いが成長しあう、市民も農業なんかなかったって生きて行けれるって言う、そういう子どもや孫の代になって大きい付けが来る様な生き方はしない。農家の人もやっぱりそれがゆえに生命の源というものを作り出している自覚を持つというですね、そういう誇り高いお互いが刺激しあって、こう両者が育っていくっていうですね、そういうふな物にこの会はなっていく。そういう性格を持たなければいけないんじゃないかなって言うように思います。どうですか?そう思うんです。

私たちは特に、ま、これぐらいの年代の人だとそういう話はある程度通じるんですけれど、もう子どもたちにはなかなか通じないね。農業っても知らないのが圧倒的だから。これぐらいの人はまんだちっちゃい頃にその辺で見たとか自分の親そんなことやっとったとかっていう人も結構いるんですけれども、もうこれ危機ですよ。そこで私たちの役割として子どもたちにこういう環境や農業の持っている意味というのをどうやって伝えていくかってことは大事なことです。こういう風な事柄についてまったく知識がないって言うのはそりゃ恐ろしいことですよ。それで、子どもと農業と食べると言う事にすいて少し最後に10分か15分話をしたいなと思います。

皆さん、食べるって事は楽しいですか?大事にしてますか?大事に時間かけてる?皆さんの家の食卓に子どもたちの感動がありますか?はー!お昼だ!夕食だ!お母さん、おいしいね!そういう食べるってのは人間の最も最後まで残っていく欲望じゃないですか、最も強い。そこに感動が無くなっていくってことは、これは恐ろしいことです。無感動になって行ってしまうと言いますか。食べるってことで食卓に感動があるかってこと聞きたいね。

僕の家でも刺身出しても、「刺身食いたくないな」って子どもが、すきやきだよっと「脂っこいからやだよ」と。この、何食いたいのかなー?とかですね。いつの間にか食卓に感動がなくなっていたってなのが、子どもがやっぱり中学校か小学校のころに感じましたよね。

こりゃ大変な事だ!家が楽しくないよ。食べる楽しさの無い家庭ってなのは、相当、家庭の魅力がもう落ちていますよね。だから僕は、これは何でかなーっと思ったのです。やっぱり食べ物を、たまには僕も作りますが、あまりいいこととでは無いかも知れませんが、食事は奥さんが作っているんです。お前も半分やれっていうような顔の女性も見えるようですが、それは許していただくとして、どうも彼女に原因があるね、食卓に感動が無いってのは。(笑いまじりのどよめき・・・)

それが判ったんです。何でかって言うといつも子どもに聞いてるんですよね。何食べたいって。自分で考える能力無くなっちゃっているね、お母さん。だからなるべく子どもに文句言われ無いようにするためには、常に子どもに聞いてる。「何食いたい?」って。で、それ作っとけば無難。

だけどそんな僕はたかが大学の教師ですから、給料は安いですから、そんなにいつもおいしいもの食える訳じゃないね。魚や肉はいつも食卓には、そういうふなのはちょこっとずつこうやって載ってく、いろんなものに出てるんだけども。なんか魚っても本当においしい生のマグロじゃなく、冷凍物のマグロの刺身とかですね。牛肉でも、本当においしい松坂牛ってんじゃなしに、どこで作ったか判らんような牛肉とかですね。いつもだから低いレベルで満たされてるんですよ、こうやって。(笑・・・)本当のもののおいしさってのは知らないの。だけどもいつも低いレベルでこうやって満たされてるんですよ。

だから僕はね、言ったんだ。もう聞かなくていいっと、子どもに。腹減ったら食うんだよ。だからもっと削れって、食費を。(笑・・・)そして浮いたやつを、土曜日か日曜日には本当においしい牛肉食ったり本当においしいものを食う。だってトータルな食費は増やせないんだからさ、こっちはこうしてこっちへ積めって言ったんですよ。(笑・・・)だから普段の日は、今だったら大豆も安いの100円も買ってくりゃこんなあるじゃん。それにこんにゃくだとか人参だとかいろんなもん出して煮っ転がし作って食ったっていいんだよ!

だから、子どもがいつも言いよったね、そうして来ると。お母さん、今日のメインは何って。「無いっ。今日はメインは無い!」(笑・・・)だけども僕の家の食卓に感動が戻ってきたね。やっぱり本当においしい肉を食う。本当においしいお米食べたい。本当においしい魚を食いたい。だから子どもが、「このお刺身はおいしくないねー」とか、「どこで取れたの?」とか。「やっぱりあそこがおいしいねー」とかって言うですね。食卓にこう感動が戻ってくるって言うふうなものを感じましたよ。

皆さんの家に、食卓に感動あるかなー?(笑・・・)そのためには先ず、本当はお父さんも協力しなくっちゃいけないんですけども、お母さんね。食べるってことをもっと大事にしてほしいね。楽しんでほしいよ。

たまにどこかのファミリーレストラン行って、家族でパーっと食っているのいるよ。なんか良いことしているみたいに、「今日はご馳走食いに行こうね」なんちゅってあんなとこ行っとったら駄目だよ。(笑・笑・・)あそこのコロッケのほうがお母さんのコロッケよりおいしいってなったら終わりよ、もうこれは。(笑・笑・・)ねー。

今日はお母さん時間が無いから悪いけどもファミレスに行ってがまんしてねと、こりゃいいよ!外食だって本当においしいところに家族でそろってちゃんと食べに行くってことは。たまには、年に3回ぐらいあっても良いですよ。だけどももっと基本的には、家で食事を楽しむし大事にするっていうことを、私たちは子どもたちに伝えていかなくちゃいけないんじゃないでしょうか。これは消費者のお母さんだけじゃなく、農家のお母さんもあかんのです。作ってるんだろうと。

日本の農業をここまで駄目にしてきたのは、作る農家が駄目んなったんではないのです。一番駄目んなったのは、日本人の食生活が崩れて、地域や農民の作ったものを食べなくなってしまっているんです。だから自然に、売れないから駄目になっていく。作るほうが駄目になっているんじゃないんです。ここまで農業を駄目にしたのは、私たちの食生活なのです。

米だって作っても、あっちの方行ってごらん。米の産地のところ行って御覧なさいよ。3割も4割も減反で作っちゃいけないって言うんだよ。所得が3割減るってことがどんなことなのか。それなのに、そこの学校へ行けば、アメリカのお百姓さんが作ったパン食ってるんですよ。(どよめき・・)

こういう国は先ず無い。無いよ!食べるって事はもっと大事なんです、これは。国土を守り、民族の自尊心を育て、そしてやっぱり、未来に続いていく自然を守っていくって言うんで。農業って大事なんで、農業が元気だったら、自然はある程度こうったことは守られていくのです。そのためには私たちが食べるっていう事をもっと大事にしなくっちゃ。フランスだって、フランスパンって、固くて黒いようなパン食っているじゃないか。誇りをもって。まねして日本人は、あれおいしい物だって言って食ってんだよ!!あれは、フランスのああいう地域では、ああいう麦しか作れないからでしょう。それを国民は誇りを持って主食にすえて食っているじゃないですか?違うの?

フィリッピンに日本の青年と行って、酒場行って酒飲んだ。「あー、ビールの味違うね」ったら、「そうですよ」と。フィリッピン、暖かいから麦は作れないけど米は何回も作れるって、一年のうちに。だから米を主原料にして、主な飲料であるビールも作ってるんですと。どこの国でも、そこの自然が生み出す農業の形態、そこから出来てくるものを大事に、食卓に基本的には据えて、そして食生活を楽しんでいるんじゃないですか。そこにそれぞれの国民や地域が育ててきた食の文化ってものがあるのです。

だから白井の農業を、やっぱり白井の農家の人にがんばってもらって、そして自然が守られ、そして農家の人も本当に健康に気いつけた、白井の市民に農産物を提供する自覚を持って育ってもらう、そういう風にしていくためには白井市民が、白井で採れた物を誇りを持っておいしくいろんな形で食べていくという、食の文化を起していかなければいけないと思います。食べるのはスーパー行って物買ってきて、白井の地産地消だ、農業もいいちゅっとったら、こりゃーあかんですよ。そんなんじゃ守れん。そんな市民相手にしちゃ守れませんよ。(どよめき・・・)

子供たちに、やっぱり食べるって事を大事にする。これは恐ろしいことなんです。もう遅いかもわからんねー。いや、本当。だってさ、食習慣ちゅうもんはね、普遍のものではないんです。食べるものによって好みって変わっていくんです。胃袋も好みも。たとえば、皆さんぐらいの年齢だと、そうだねー、餅って言うとやっぱり日本のもち米で作ったものがうまいと思って食ってるじゃん。だけどもう、子どもはあんな日本のもち米で100パーセント作った餅はおいしいって言わんかもわからんよ。「やっぱりコーンスターチが入ってる、スナック菓子のほうがうまい」だ、「こんなもち米ばっかで作った餅なんかもう、おなかにこたえてたまんねえよー」って言うかもわかんない。もう変わっちゃってるかもわかんないじゃん。そうするともう、いっくら作るほうがんばってみても、自然にコーンスターチの方へこう行っちゃうのよ、もう。だから、食べる習慣を変えていくって事は恐ろしいことなのです。

だから子どもたちに、食って事を楽しむっていうお母さん、お父さんになってほしいね。大事にする。銭かけろって事じゃないよ。そりゃ銭もかけなくちゃいけないですけども、やたらめたらかけろという事では無いんですよ。採れた物を大事に全部食べる。いろんな加工の仕方をしながら、大根もそんな白いところだけ食っているんじゃなしに、こっちの葉っぱのほうも全部食うってですね。いろんな工夫をしながら食べる。それを楽しむところに食の文化ってのがあるんですよ。

俺の友達で、家買ったやつがいるんですよね、だいぶ前。そんなことに興味あったの、僕も昔ですからだいぶ前ですけども。で、そいつの家行ったら、何でこんな家買ったかわかんなかったから、これお前なんで買ったんだって聞いたんですよ。そしたら奥さんが気に入ったって言う。奥さんが。どこが気に入ったんだいって言ったらですね、この料理をするキッチンセットが、普通は壁向いてこうやってやるようになっているじゃないか、ガラス窓とかの方に。その家は、こっちがリビングで、こっち居間があってここに料理するそういう台があって、お母さんがいつもこうやってしながらここで遊んでいる子どもたちに、今日学校でなにがあったとかいろいろ聞きながら料理が出来るからいいって言って買ったって言うんですよね。だから俺言ったんだ、おまえの奥さん馬鹿じゃねえかと。(笑・)

なんで子ども遊んでてお前だけ働いてんだよって、こうやって。(笑・・・)なんで一緒に料理して楽しむっていう風にしないのって言うか。これ切ってごらん、これ北海道のスイカだぞって、ねー。じゃがいもでも九州のはおいしくねえなーって、ねー。もう一月待っててごらんよ、男爵、あっちのほうで出来てくるかもわかんないよって、ねー。千葉はこれでも結構さつまいももうまいんだよって。白井の梨、ちょっとおいしくねえなってとか、(笑・・・)いろいろこうしながらですね。こうやって、何でそうやって楽しまないの?って。

ちゅうことは、食べるって事を楽しむ。それを作るっていう事を子どもと一緒に楽しむってですね。そういうことをもっとやる必要あるんです。それはね、ちょっと言っておきますけども、食べるって事だけじゃないんです。子どもたちを育てていく上で、生活の体験をさせるって事はもっと大事にしなくちゃいけない。食べる生活、それから住む生活、住宅をいろいろ工夫して住む。食べることを工夫して楽しむ。着ることを工夫して楽しむ。そういう衣食住だとか、そういう生活をもっと大事にして楽しむっていう事が、今の家庭には欠けています。

だから、この、皆さんがやっている仕事、この地球上にあるすべての仕事と産業、そういうものは全部、人間の生活に必要だからあるのです。すべての産業や仕事を生み出している源は生活なのです。生活の仕方や考え方が変わっていけば、産業も変わっていくし、仕事も変わって行ってしまうのです。だから一番大事なのは、生きるという生活なのです。そこに興味を持たなかったら、子どもたちが、ああ、こういう料理を創れるようになりたいなあ、とか、自分は住宅とかこういうことやってみたいなあとか、その、日常の生活の中から地球上のすべての産業はあるわけだから、職業は。だから子どもたちはそっから、いろんな職業像ってものを描いていくことが出来るのです。生きるって言う生活の基本のところをやっぱり子どもたちに伝授していくのは家庭なのです。そんなこともやらずに小学校でいろんな地域のお豆腐屋さん見に行ったり、いろんな事見に行っとっても、そりゃ単なる興味位にしかならないのでございます。やるなっちゅうんじゃ無いよ。やってもいいけども、基本はやっぱりもっと日常的に生活をする家庭の所で、食生活を楽しむ。大事にする。住むということを大事にする。

大事にしていたら夕べのは大変だった、僕の家も。雨漏りで、(笑・)ふふふふふ。本当に台風で雨漏って、本当に家の中バケツ足らなくなっちゃったよ。(笑・・・)これから大工さん頼んで直さなくちゃいけないな。だけどいいじゃない。そうやって家は直すんだぞと、台風は、やたらめたらにええ加減なことを家でやっていると、しっぺ返し食って台風来たときに雨漏りいっぱいするぞって事がもうわかった。ま、いいじゃやない、子どもたちにこうやってやっていくんだぞと。雨漏りしたときにわー!と騒ぐような子どもじゃ困るよねー。平然と構えてですよ、(笑・・・)バケツが足らないだ?弁当持って来いと、子どもの。(笑・)こうやってしていくお父さん、お母さんじゃなかったら教えていけないでしょう。生きていくたくましさを。昨日それやっとったのよ。(笑・・・)

なんだか話がおかしいほうへ行っちゃったな。だけどね、食べるってこと大事にしたいね。楽しい?ちょっと事のついでに、環境の問題だから、住むって事も楽しい?だって皆さん、家に季節感ある?一年中春、春、春みたいなそんなことやっていない?冬んなっても網戸がかかったままの家とかって、(笑・・・)結構あるぞ!おい。この家季節感ねえのかよっていうかですね。

絨毯なんかひいていると本当にね。一年中掃除しなかったってもゴミだけ拾っておけば美しいみたいに見える?板の間か畳の間にしてて御覧なさいよ、三日に一回掃除しなかったら汚いよ。そのくらい本当は汚いものなんです。住むという事をどれだけ快適に楽しんでいるかって言うことも疑問だね。

僕もいろんな事あったね。食べるってのはお母さんの役割だけど、住むってのはお父さんの役割大きいんですよ。親父から俺も教わったことを、子どもに教えなくちゃいけないんだよ。楽しくね。楽しくね。ひとつはやっぱり、家族の成長と共に家はこうやって変えて住むもんだよという事を教えていけなくちゃいけないよね。

私も例えば、母親が、母親と一緒に生活したんですよ、最後10年ぐらい。私って名前が攻めるって言うんですよ。(笑・)何でおかしいのー?いやおかしいよね、本当言うと。兄が守るって言うんですよ。(笑・・・)それまー昔はね、昔の人は名前からしてねー、長男と次男は区別したんだね。お前は出て行けって言う字なんです、これ。(笑・・・)兄は家を守りなさいよ、と。それでですね、私もそのとおりだと思って、もう、家なんか帰る予定も無かったし、親に心配かけなきゃいい、と思って、世の中渡って歩いとったんです。たら、あるとき兄から電話かかってきましてね。もう困っちゃったと。おばあちゃん俺、引き取るよってやって10年ぐらいやったけど、これは大変だった。考えている以上に。兄が財産引き取って、僕が母親引き取ったのです。ははははは。(笑・・・)

だけど、引き取ったのはこっちのほうが良かったかも。人生楽しかったよ。いろんな事あったんで、家ん中で一緒におばあさんと住んでいくとなると、やっぱり大変な問題起こってくるんです。例えばもうだんだんぼけてくると、電気とかガス、拾ってこうやって歩いて。どうするかってんで、私はそのときには各部屋に鍵をかけたんです。こうやって。鍵ってなのは、部屋の中から掛ける鍵と外から掛ける鍵はだいぶ違うんですね。ぜんぜん違うね。外から全部部屋に鍵掛けたんです。中から掛ける鍵は、家族が中に居ておばあちゃん入って来るなよって言う鍵ですよね。だから、外に掛ける鍵ってなのは、だれか部屋ん中に居て掛けるわけにいかないんですから、やっぱり、ここはもう空だから、おばあちゃん、家族だれも居ないから、危ないから入らないようにした方がいいよという鍵ですよね。家族が居て掛ける鍵ではありません。だれも居なくなった時に、おばあちゃんが入っていくと危ないからって言うですね、おばあちゃん。家族が居るときには全部部屋はオープン。だけども、空っぽになった時は、ここ掛けときなさいって言うですね。そういうふうにして、それの意味を子どもたちも十分知って行ったと思います。だから、僕は子どもにそのことを伝えていたという風に思います。お前が居るから当たり前だろうっていうかですね。

正直に、飯食っているときもえらい事あったな。歳とるとこぼすんだよ、べろべろべろべろとかって。(笑・)私でも最近こぼすようになって来ましたけどね。(笑・)こぼすんだよ、あわてて。ほうすと、汚いねって初め言うたよ、子どもは。何もおばあちゃん汚いんじゃねえよと。俺だって30年たったらこうだし、お前だって50年経ったらこうなんだと。別におばあちゃんが汚いんじゃなしに、みんな人間はこうなるんだから、よく覚えときなさいと、いうですね。いろんな事をこうやっぱり、家族の変化とともに家ん中をそうすると言うですね。

猫が2匹。夏休みに捨て猫が、子どもたちが、地域の子どもたちが捨て猫を飼っていましてね、夏休みが終わるときにどっかの家庭がそれ引き取らなくちゃいけない。捨て猫を。で、みんな子どもたちが帰ってお母さんに相談したんです。そしたらみんなお母さんが、メス猫だから駄目だと言うたっていう。俺そのとき、そのお母さんの顔見たかったね。お前は何だと。(笑・・)なこと子どもに言っていいのかと言うですね。だけども保健所に、子どもたちが一緒懸命遊んだのを夏休み終わって持って行くわけにもいかないので、わしが飼うって事にしたんですよ。わしが飼うって。だけど、僕も責任もてる範囲ってことで、猫には悪いなって思ったのですが、避妊手術をさしてもらったんですよ。避妊手術をして、あなた限り!(笑・)というので。

と、今度猫と一緒に住むとなるとまたこれ大変なんです。行ったり来たり、家ん中を、こう、外へも行ける様にしてあげなくちゃ行けないしね。そうすると、泥棒も一緒に出たり入ったりじゃ困るじゃないですか。(笑・・)猫だけこうやれると。で、こう僕の家の玄関の、小っちゃい玄関のところに、こう明り取りの窓がこれくらい、こうあるんですよ。ここに格子がこう入っている。それ一本とって、そっからこう、出入りできるようにしてあげて。だけど子猫だから、そこまで上がってくるのが大変だから階段をずーっと作ってあげたんです、そこまで。で、ここまで上がってくるの大変だなと思ったから、途中で一回休憩できるようにしてあげてですね。(笑・・・)で、ここまでこう上がってくる。で、外もそうやってしてあげたのです。今はもうおばあちゃんになりましたけど、その猫ね、家族の帰りをそこでこう待っています。

猫一匹飼う、おばあちゃんと一緒に生活する。そういうふな事でも、こうやって住むところ工夫してやると、おばあちゃんも快適、猫も快適なんだよって事、私自身が父親として、そういう住むと言うことを、家族の変化にあわせて楽しむと言うことをですね、そういうのを教えてあげる。そうすっとその子は住むと言う事にすごく関心を持って、そういう職業についていくかもわかりません。今、建築学科におります、だから。(笑・・・)生活ってそういうものなんです。時間が来たのでやめますけれども、(笑・・・)生活を楽しむ、大事にするって事をしていかないと、白井の農業は守れないと思います。ハイ、以上です。(拍手が続く)