イラクへの自衛隊派に関する政府基本方針をめぐり
朝日新聞が3点セットで渾身の声明を出しました。
その趣旨に共鳴し、広く知っていただくために紹介します。

平成15年12月10日(月)13版
朝日新聞

1面
社説

日本の道を誤らせるな

政治に携わる者、とりわけ首相の職務の重さを痛感するのは、右か左か、国の命運を担って至難の決断を迫られているときである。まして貴い人命がかかっていれば、なおさらだ。
 小泉内閣がイラクへの自衛隊派遣計画を決めた。ゲリラやテロ勢力に狙われる恐れが多分にある。戦闘になるかもしれない。それを承知のうえで決めたこの計画は、戦後史に残る重苦しさをたたえている。
 私たちはこの計画に反対である。少なくともイラクの現状が大きく改善されるまで、実行を見合わせるべきだ。それが私たちの切なる願いである。この派遣は、日本の針路を大きく変えうる危険な道だと考えるからだ。
 ゲリラの攻撃がやまないイラクで先月末、2人の日本外交官が殺された。以来、国民は自衛隊派遣への不安をますます募らせている。だが一方で「彼らの遺志を継げ」「テロに屈するな」と、しきりに派遣を促す声もある。
 いわく、このままではイラクがテロ国家になってしまう。日本は復興支援に力を入れ、治安対策に追われる米英軍を助けなければいけない。石油に恵まれたイラクの安定は日本の国益にもかなう。憶病に振るまえば、米国や世界からの信頼を失ってしまうー。
   □    口
 だが、もう少し考えてみたい。確かにイラクの民衆は助けたい。派遣を見送れば、米国との関係は面倒になるかもしれない。それでも、派遣が抱える危うさの方がずっと大きく深刻であれば、話は別ではないか。
 悪夢の光景がまぶたに浮かぶ。自爆テロが自衛隊を襲う。ゲリラと撃ち合い、双方に犠牲者が出る。かつて一度もなかった自衛隊の闘いである。事件後、世論に撤退論も強まるが、いったん送り出したら引きづらい。派遣が延び、ますます深みにはまっていく。
 考え過ぎなら幸いだ。しかし、最悪の想定までして事に当たるのは、国の指導者の務めである。テロ勢力は標的を海外の日本大使館や企業、さらには国内にも定めるかもしれない。
 テロに屈するな、というのはその通りだ。しかし、ことは精神論ではすまない。テロといいゲリラ攻撃といい、これは「戦争」の一環なのだ。
 イラクで抵抗している勢力はフセイン政権の残党から国際的テロ組織アルカイダまで、さまざまだと言われる。共通なのは米英輩とその仲間を「敵」とみなしていることだ。泥沼化したベトナム戦争と同様、米英軍は見えない敵におびえつつ、敵の掃討に当たっている。民衆の心理は決して占領軍に温かくはない。
 ここでは米英の開戦の大義は問うまい。だが、開戦をめぐる亀裂が尾を引き、仏独やロシアは復興支援に軍を送っておらず、国際社会の足並みは乱れたままだ。テロの標的になった国連や赤十字も現地から引いてしまった。そういう戦争の地に出かけるのだ。
  口     □
首相がいうように「戦争に行くのではない」にせよ、米英軍の同盟軍と映る。抵抗側にとっては格好の敵である。いまは安全な地域でも、自衛隊が行けば不安の地になり、人道支援の目的が裏目に出かねない。
 襲撃された自衛隊が反撃に出れば、自衛の範囲を超え、日本の憲法が禁じる外国での武力行使に発展するかもしれない。それをどう抑制するか。戦地に等しい地にいながら、戦争に加わらず、しかも身を守るのは不可能に近い。
小泉首相をはじめ、派遣に熱心な人々には、日ごろ「自衛隊を堂々と軍隊にしたい」と公言している人が少なくない。まさかイラクをそのきっかけにと考えてはいないか、それも気になることだ。
 「平和立国」を指針と定めた日本は外国で戦争をしないことを国是とし、外国に武器を売ることも禁じてきた。中東のどの国とも争ったことはなく、経済貢献で喜ばれてきた。そんな誇らしい役割を捨てるのは、日本にとっても世界にとってももったいない。
 この100年余り、自衛隊は国連の平和維持活動(PKO)に積極的に参加もし、平和協力の道を広げてきた。これからもその方向に間違いはない。
 だが、それとイラク派遣とは全く別のことだ。いまイラクに自衛隊を送ることば危う過ぎる。せっかく積み上げてきた平和貢献も、大切な日米関係も、成り行き次第ではかえって大きく傷つけてしまいかねない。そのこともまた、私たちは深く恐れている。

2面
日本敵視・広がる恐れ

中東アフリカ総局長
川上泰徳

 「日本がアラブの国の占領に加わる利益は何か」。レバノンの1日付アルムスタクバル紙は、こう問う。「アラブ世界は日本に敵対したことはなく、その逆もない。なのになぜ、いま日本はアラブ・イスラム世界に敵対しようとするのか」
 度々日本を訪れているエジプトのイスラム運動研究者デイーア・ラシュワン氏も「日本人はいま危険で重大な岐路にあることを認識しているのか」と心配する。
 「日本は米国との関係だけでイラクに自衛隊を送ろうとしているが、イスラムの敵として米国と共に聖戦の対象になることば避けられない」
 日本政府が「人道目的の復興支援」と位置づける自衛隊の派遣が逆に敵視される。その背景には、米英軍に欧州の軍隊が協力する形で進むイラク占領を異教徒による「十字軍」ととらえて反発する中東の世論がある。
 外国軍の派遣を可能にする国際的な枠組みは、長い間、国連の「平和維持軍(PKF)」だった。いま国連主導の仕組みがないまま、自衛隊がイラクに派遣されれば、日本は暴力を伴う中東の分裂の渦に巻き込まれることになる。
 イラクでは「テロ」と「抵抗」という二つの言葉が対立する。米英の暫定占領当局(CPA)のブレマ一代表や駐留米軍のサンチェス司令官は記者会見で、攻撃をしているのは「外国のテロリストと旧フセイン政権の残党」とし、占領と戦う「国内の抵抗勢力」は存在しないという立場だ。
 しかし、民間人の犠牲を伴う米軍の軍事作戦や過激派掃討作戦に対し、欧米の人権団体すら「人権侵害」を指摘する。掃討作戦に対する武装闘争組織が国内で生まれ、各地で組織化されていることも、事実だ。
 11月にイラクを訪れ、記者会見した岡本行夫・首相補佐官からも「抵抗」という言葉は聞かれなかった。治安の悪化について、「イラク人の犯罪は激減しているが、外国からきたテロリスト、それからサダムの残党、その二つが結託したテロ活動は増えている印象がある」と語った。
 米国と協力して自衛隊派遣を決めた日本は、アラブ・イスラム世界の民衆からすれば、すでに「向こう側」の存在かもしれない。10月には国際テロ組織アルカイダの首領ビンラディン氏のものとされる音声テープが「不当な戦争に参加する国々に報復する」と宣言し、英国、スペイン、イタリアなどと共に日本を名指しした。
 日本では「標的」とされたことに衝撃が広がった。しかし、中東からは日本が自ら標的に入ってきたと見える。「日本も米国と一緒になってイラクを支配しようとするのか」という疑念だ。本当の脅威は、日本を「敵」とする鋭い視線が、一部の過激派だけでなく、中東全体に広がることだ。

4面

国際協調よりl対米」突出

 イラク戦争の対米支持表明から9カ月。自衛隊を戦闘が継続している他国の領土に初めて派遣する基本計画が閣議決定された。米国に寄り添うことで日本の国益や国際社会での発言力を確保しようとする小泉外交からすれば、当然の結果かもしれない。だが、国連よりも「有志連合」を優先させるブッシュ政権の路線は、首相が唱える「日米同盟と国際協調の両立」の実現を極めて困難にさせている。
 「米国では自衛隊を派遣していないことに知日派以外は気づいていない。気づくと大変だから、その前に何とかしたい」
 イラク特措法の成立から約2ヵ月たった今年9月下旬。ある外務省幹部が苦笑しながらこう漏らした。その言葉から、アーミテージ国務副長官らブッシュ政権内の知日派をパイプと頼み、必死に関係強化を図ってきた日米同盟の現実が見えてくる。
 湾岸戦争の直後、アーミテージ氏は日本政府関係者にこう言った。「今は国連と米国は一体だ。しかし、国連の平和維持機能がいつまでうまく働くのか保証はない。いずれ、日本は国連と日米安保とどちらを優先するのか、岐路に立つだろう」
 イラク戦争は、まさにその「岐路」だった。首相は9日の会見でイラクへの自衛隊派遣について「日米同盟、国際協調の両立をはかる。口先だけではない、その行動が試されているときだ」と説明。さらに国際協調主義をうたった憲法前文をあえて読み上げ、「日本国の理念、国家としての意志が問われている」と言葉を強めた。しかし、今回の決定が国際協調よりも日米同盟を重視したものであることは、その経緯をみれば明らかだ。
 自衛隊派遣の基本計画決定に至る右往左往ぶりには、政府内からでさえ「首相の対米配慮は異常なほどだ」といった声が聞こえた。
 大量破壊兵器の未発見によってイラク戦争の大義が揺らぐなか、米英の占領統治や市民の犠牲者を生む掃討作戦に対する国際社会の視線は厳しい。自衛隊派遣によって、首相はブッシュ政権側に立つことを鮮明にしたが、それはこうした厳しい視線にさらされることも意味する。圧倒的な軍事力を背景とする米国主導の国際秩序づくりに、日本はどう向き合おうとするのか。今回の決定はこの重い命題を改めて突きつけている。
(佐古浩敏)