四日市で開かれた学生起業イベント「ステューデントエコノミー」

四日市でワンデーシェフレストラン「こらぼ屋」を始め、ワンデーシェフレストランシステムの全国普及を行っている海山裕之さんが、「ステューデントエコノミー」というプロジェクトを実施しました。

2005年10月29日から12月17日までの約2ヶ月間、毎週土曜日に実施されたもので、9回目にはこらぼ屋(下の写真)で成果発表を行い、期間中、それぞれの出展チームの世話をしたコーディネーターが各グループを表彰。それを受け取った参加者はみんな、泣きながら感想を言うという、感動の発表会だったそうです。

海山さんが発案し、日ごろのお仲間ネットワークのメンバーなどが加わって実施されたこのプロジェクトは、高校生や専門学校生を対象として、地域通貨を使ってビジネス体験をしようというもの。
会場はなんと、こらぼ屋の前の商店街に並べられたテントです。

参加者は公募で集めることとし、自分のやりたいこと、夢を提出してもらうことにしました。

これを運営する実行委員は20人。参加グループごとに若手の実行委員が分かれてつき、それぞれの夢をビジネスの形にプラニングすることから始まりました。
もちろん、実行委員はサポートに徹します。
ある程度、形になったところで、実行委員会でプレゼンテーションを行いました。
いろいろな夢が試みられました。


ステューデントエコノミーの目的は3つ
  1. 社会に出る前段階の若者に、起業体験、経営体験をさせて、人材を育成すること。
    併せて、実行委員として市民活動のコーディネートができる人材を育てること
    ・・・実行委員の半分は若者なのです、もちろん一本釣りで

  2. 高校生をサポートするという名目で、いろんなセクターのサポートを取り付け、それによって異なるセクターの間のコラボレーションを形成すること。
    「NPOを支援しましょう」というより、わかりやすく、行動を始めやすいのです。

  3. Jマネーの循環を促進すること。
教育委員会を通じて呼びかけをしました。
しかし、農業高校の熱心な先生が参加してきたほかは、学校を通じての参加はゼロ。
みんな個人、グループで応募してきたのです。
学校に頼らずに「私がやりたい!」と申し込んできた子どものモチベーションは大変高かったのです。

開催期間中、毎回(=毎週)午後3時には、お店を終わりにして反省を兼ねた交流会を行いました。
ビジネスとしての完成度を高めるのが目的です。


あるとき、カフェの料理が残ったので、食材を買い取って、料理を作るグループに与え、料理を作って振舞ってもらったのですが・・・、一生懸命造ったのに、みんなが食べたらさっさと片付けずに帰ってしまったのです。
寂しく片付けるうちに、忙しさに追われて出し忘れたスープも出てきて・・・。
でも、彼女たちが一番悲しかったのは、周りの人が一生懸命集めてくれた食材を無駄にしてしまったこと・・・。

カフェでは料理を500円+300J(Jマネー)で提供していたのですが、牛乳、米、コーヒーは事務局が企業などを回って協賛品として集めて供していたのです。
実行委員会の中では、後片付けや挨拶は指導すべきではないかという意見も出されましたが、「指導すること」は止めようということになりました。

彼女たちは話し合い、みんなに訴えました。
「反省会の料理は毎回出します。片付けもします。お願いは、自分たちが作った料理を、ただ食べるのではなく評価してください!」と。
大人が教えられ、勇気付けられました。

「私は、コミュニティの力が子どもを育てると思っています。
20人の実行委員会は、一つのコミュニティであり、そのコミュニティの中で子どもがどう変わるか見たかったのです。
だから、実行委員会は、みんながサロン的に集まれる場にしたかったのです。
参加した生徒さんたちはだんだん甘えがなくなっていったんですよ。(海山)」

なぜそう考えたかというと、海山さんの長男が定時制高校に進学されたのですが、自分がイメージしていたのとは違っていたため落ち込んでしまったそうです。
海山さんは、『日本の古来の、釘を使わず、土壁を用いる工法を使っている大工さんのネットワーク』をやっている名古屋の大工さんと知り合いでした。そこで、「建前を見に行くか」と言って大工さんに会わせに行ったそうです。

夕方帰ろうかとしたら、若い大工さんが「一週間泊まっていけ」と言ってくれたので、息子さんを置いてきたのですが・・・。
「一週間後に帰ってきた長男は、ぜんぜん変わってたんですよ。見違えるほど成長を遂げていました。
これぐらいの時期に、親とか先生とかでない、親以外の質の良い大人と接することが大事なのですよ。(海山)」

話を戻しましょう。
足湯サービスを提案した看護学生さんたちは、「温泉の湯を使ってやりたいのです」と訴えました。
「実家が湯の山温泉に近いから、毎回汲んできてあげるよ。」と応じたのは県庁職員。
さめた温泉の湯を、寸胴なべで沸かしてくれたのは銀行員。実行委員もみんな、楽しんでやっていたのです。




農業高校の生徒さんたちは、『湯の山温泉』が寂れているからと、自分たちで工夫して地場で採れるもので色をつけて3色饅頭を作り、製造許可を採って温泉に持って行ったのです。でも、相手にしてくれなかったそうです。
ところが、この足湯のおかげで温泉の方と知り合うことが出来、なんと2件の旅館が、お客様に最初に出すお茶請けのお菓子として採用してくれたのです。




四日市商業高校の生徒さんたちは、地元のお茶で「ほれ茶った」というネーミングのペットボトルのお茶を売り出しました。
ちゃんと自分たちで商標登録したんです。




中央工業高校の生徒さんたちは、ペットボトルを集め、砕いて鉢などに加工するプラントを持っているのですが、商業高校の「ほれ茶った」のラベルで出るベージュ色を混ぜて、「ほれ茶ったカラー」のを鉢を売り出したんです。「商業高校にはJマネーで商標の使用料を払うか」というような冗談も飛び出しました。




地域の団体、会社なども一緒に盛り上げてくれました。

地産地消ネットワークの四日市支部がさつま芋を提供してくれて、四日市の万古焼という陶磁器の器で焼いた芋を売ったり、日野菜漬けという漬物を作っている会社が、社長さん自ら来て漬物の実演をしてくれたり、農家の奥さんたちがこんにゃく作りをしてくれたりしました。

最初にこらぼ屋が出店していた商店街の有志は、ブースを出してお店の商品をJマネーで売ってくれました(=協賛)。
「会場にした商店街で、よその商店街が商売をやったのですよ。こんなことはNPOだから出来ることでしょう!(海山)」

若い人たちのライブは毎回やりました。
カフェをやった子らは5回出展し、大変でも、やり通しました。
途中で高校生にインタビューをしたことがあって、「今一番何がほしいですか?」と聞いたら、「時間」と答えたそうです。

写真で振り返ると、ネイルサロンをやった子らも、表情が変わっていったことが判ります。自信が現れてきたのです。

事務局はその日が終わると、翌週の出店者を洗い出します。
ポスターは、それに合わせて毎週作り、各地に発送。実行委員会の翌日にはコーディネーター・ミーティングです。

「私は全部付き合いましたから毎日家に着くのは2時か3時。それが2ヶ月続いたんです。でも、誰からも不平不満は出なかったんです。
高校生はかわいいんです。いとおしいんです。それが大人のモチベーションを上げるのですよ。
その大人の姿が子どものモチベーションを上げるのです。(海山)」

実行委員はみんな海山さんのつながりで集め、若い子を集めるのは苦労したそうです。
でもこのつながりが、今度の新しいこらぼ屋の事業を支えてくれます。

新しいこらぼ屋は、市の地場産業の振興施設「ばんこの里」会館のデザイン開発室だったところ。
スチューデントエコノミーの時にばんこ焼きの焼き芋器を借りにいったところ、会館の中に食べるところがなくて困っているという話が出ました。
こらぼ屋で引き受けましょうかと申し出たところ、厨房設備の用意は全部会館でやってくれることになったのです。

会館が直営で飲食店をやると人件費がかかります、また、業者を入れられるほど、いつもお客がいるわけではない。
こらぼ屋なら、見本市などでお客が来るときだけ、シェフを派遣できるから良いということになったのです。
でも、会館がお金をかけてしっかり設備を造ってくれたので、感謝の気持ちから毎日開けることにしたのです。

「中途半端な関わりはしたくなかったのです。こらぼ屋は地域の隠れた人材を発掘してスキルアップする場で、採算じゃないんです。
でも、そうやってシェフが30人にもなれば、シェフを派遣する事業が出来るようにもなるんですよ。
これまでワンデーシェフは民間施設を使っていたけど、会館でやれば、公共施設でやる道筋が出来ます。
人気のあるシェフは固定客がいるから、人が来ない公共施設でも成り立つのです。

昔は地域社会がしっかりあって、子どもたちは周りの大人からいろいろと教えられて一人前になっていった。
それがなくなった今、実行委員会や支援者、NPOなどの出店者というコミュニティの中で、子どもらが何を考えてどう変わっていくかということを見たかったのです。
私が常に心がけたのは、実行委員という固いイメージでなく、みんながわいわい集っている、そういうサロン的な雰囲気の中で事業を進めていけるようにすること。(海山)」

実は、ここに海山さんの根っこにある哲学と長年の経験に基づく技があると思います。

以前、ワンデーシェフの話をされたときのことです。
「宮本さん、レストランの究極目的は何だと思います?食べることではないんですよ。楽しく話をすることなのです。」
そう語る海山さんは、ワンディシェフレストランに来た客が黙って新聞を読んでいたりすると、あれこれ話しかけ、テーブルに着いた人たちが互いに自然に話せるようにしてしまうのです。

外から見るとスチューデントエコノミーは、商店街の中で2ヶ月間毎週、高校生やNPOのお店が出たというだけのイベントですが、内側から見ると、参加者、実行委員、支援者の人たちのやり取りは、非常に濃密なものだったのでしょう。
すごいですね、パワフルな『まちづくり人』をまとめて40人生み出してしまったのですから!

海山さんの理想は、このしくみが地域に根付いて、これに参加した生徒がしばらく社会を経験したあと、今度はコーディネーターとして参加してくれること。「あのころの自分はこうだったんだな」と気付く姿を見てみたいのです。

「最後の発表会にマスコミが来て、また来年やるのですか?と聞かれたとき、誰も答えませんでした。大変なんですよ。
だけど、本当にやってよかったと思います。(海山)」

ゴールデンウィークに海山さんをお訪ねしてお聞きした話をまとめました。
スチューデントエコノミーの写真は海山さんからいただいたものです。
市民参加まちづくりパートナー 宮本照嗣