「まちかどフォーラムin佐倉」2004年10月23日/午後の部〜ミニフォーラム
パネルディスカッション

【パネルディスカッション オリエンテーション】

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市民参加まちづくりパートナー   宮本 照嗣

《子どもとまちづくり研究会》

まちづくりは幅が広い・・・・・・駆け足で紹介

「NPOさくら緑ネット」・・・子どもたちに自然学習
  岩名運動公園に隣接する休耕田・・・ビオトープ・・・カブトムシ
  カヌーや稲刈り、キャンプファイヤーと言った参加体験型のイベント
  子ども関係、まちづくり関係の団体と連携を図っていきたい

どろんこクラブ・・・子育て中のお母さんが担い手・・・子育て支援じゃない
  0〜4歳児・・・子どもたちが主体的に遊ぶ
  臨床心理士や料理のワークショップ・・・活動レベルを上げながら 最初は「あれもしたい」「これもしたい」
  みんなで運営できるように・・・リーダーを交代制で

たつのこ村・・・パネラーとして発言

延藤安弘さんの講演・・・「子どもと大人と縁側で」
  佐倉こどもステーション「ゴリッチクラブ」(中高生)の主宰事業に参加
  都市の中にコミュニティを作っていく・・・「ナットワーク」
  高齢者と子ども、生活者と専門家、市民と行政・・・緩やかに結ばれる出会いの場所

NPOこどものまち「ミニさくら」
  子どもたちが自分たちで物事を決めて・・・お店を開いたり・・・だんだん町らしく
  「こどものまち」の新聞・・・「アイアイモールのいいところ」、「佐倉のいいところ」
  遊ぶと皆にいいことをしようと言う意識が出てくる・・・「市民の一人として子どもがいる!」

佐倉市美術館の「体感する美術=まちかどギャラリー」
  美術とまち・人を結ぶ事業・・・アートのまちづくり
  子どものプログラムに大人が協力・・・美術に参加
  協力メンバーを増やしていく工夫

志津散策の会・・・志津学入門に参加した仲間・・・楽しむ会 お年より夫婦が車椅子を押してゆっくり歩いていって楽しめる道
  レベル、水準測量器・・・知り合いの業者に借り・・・「現場に出て現場から学ぶ」
  発表会で「こういうところはこうすると良くなりますよ!」・・・ 行政の方がかなりの部分黙って直してくれていた

木曜の家・・・障害のある人も楽しく生きていける場を
  「街に力がないと、地域に力がないと、障害者は生きていけません」
  外国では乳母車や車椅子を押して段差にくれば手が何本も同時に出てくる
  県との共同「ノーマライゼーション相談事業」・・・悩みを抱えている人同士で相談しあう

佐倉TMO、先ほどご説明いただきました

増田喜昭の講演・・・「まちで遊ぶ、まちに生きる」
  「NPOこどものまち」の主宰事業に参加
  四日市の児童書専門店「メリーゴーランド」・・・人口が2千人しか居ない町
  海外からも絵本作家や詩人などの講演会、パフォーマンス「遊び術」・・・ほぼ毎週

《まちかどフォーラムin佐倉の特色》

1つはテーマ「こどもとまちづくり」
  子供に関して「ミニさくら」、「佐倉市民ミュージカル」
  非常に本格的な、最先端の事業がいっぱい行われている
  「たつのこ村」遊び場を自分たちで作り出すすばらしい活動

もうひとつの特色は進め方です。
  「まちかどフォーラムin佐倉」・・・準備だけに集まるのはもったいない
  「子どもとまちづくり研究会」・・・佐倉茶屋の研究発表会のやり方
  1回に2〜3人発表・・・質問して交流

それでは、私からの説明はそこら辺にしまして、具体的に、こちらのパネラーの方々が進めている実践についてご 説明をいただきたいと思います。
まず、遊び環境作りということについて、奥津輝久さん、よろしくお願いします。


【パネラー発言1 遊び環境作り】
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建築家、アトリエ・そうわーくす主宰 奥津 輝久

個人的には一貫して『あそび』をテーマ
本業は、建築設計・・・老人ホーム・・・『癒しの空間』をつくっても・・・ボケてしまう
『あそび』が入ってくると、目が輝いて来る

“たつのこ村”・・・まさに『あそび』の環境づくり
『あそび』を自分でつくれる

子ども達・・・“あそぶ力”を持っている
放ったらかしに・・・自分で『あそび』を見つけていく
遊び場を自分でつくるし、遊び方も考えるし、そこでコミュニティーも自発的に作っていく
子ども達って凄まじいパワー・・・大人たちが摘み取っている

“たつのこ村”で私がやりたいこと・・・「大人たちが、子ども達の能力を摘み取ることを、止めてもらう」教育
「アレしちゃいけない、コレしちゃいけない」といった規制の無い場所

滑り台で遊ぶ・・・学校に忍び込まなきゃならなかった
寺のお墓・・・工事現場や廃屋・・・入り込んでは血みどろになって遊んでいた
危険な遊びが許されていた

保育園とか小学校で、子ども達に教える
まず先生に向かって「今日は、怪我をしてもらいます」
怪我もしたことのない子ども達が、大人になって大丈夫なんだろうか・・・危機感をすごく感じる

“たつのこ村”では、遊び能力を自由に引き出してあげたい
“たつのこ村”・・・まだつくり初めで、雑然
どういう遊び場に・・・子ども達に考えてもらおう

『公園づくりワークショップ』・・・子ども達で・・・意見の出し合い
動物園つくりたい・・・トンネル掘りたい・・・少数意見には新しいものが含まれている
“恐怖の公園”・・・廃屋の中で経験したあのドキドキするような遊び場
恐怖体験する機会がない・・・危険な場所では遊びづらい
恐怖が味わえる“危険な遊び場”を提案


【パネラー発言2 こどもの環境づくり】
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NPO佐倉こどもステーション 大場 博子

幼稚園に通っている子・・・仲良しの子と遊びたい・・・
「こんどおけいこごとが休みの時にはあそぶからね。」って・・・5歳です
2歳からいろんなものを習わせ、安心感を持つ傾向

子どもたちの下校・・・3年生なら3年生、4年生なら4年生という同学年
宮前の「むらの一本道」・・・中学生になると全く出会わなくなります

東京勤めのサラリーマン家庭が多い・・・日中は留守電ばかり・・・まちの中に人がいない
子どもたちをとりまく人の環境が変わった
子どもたちが出会うのは学校の先生、おうちの人、おかあさん、塾の先生、習い事の先生だけ
自己表現が下手、友だちがつくれない・・・そういうことの大きな要因

「いろんな人がつながれる活動」・・・市民ミュージカル
市民も商店の人も行政の人も企業の人も子どもたちも一緒に作り上げる

いろいろな人たちがつながりのあるあたたかいまち
「今まで知らなかった人が知り合っていく・・・
まち角で「この間のミュージカルに出てたんだねぇ。」・・・いろんな会話が生まれる

学校にチラシをまいて公募・・・プレ公演約50人、本公演80人近く
チラシをみて「ボクこれやりたい。私これやってみたい。」・・・

このミュージカルは全部子どものオリジナル・・・専門家は子どもの発想を膨らませカタチにする
「お話づくり」「音楽」「ダンス」・・・自分の得意なことに気づいていく
自分に自信がつくと、他の人の得意なことにも気づく

どの子もしっかりと相手に伝わる声が・・・「相手に伝えたい自分」がいる

保護者の人たちも自分がミュージカルに関わっているということを感じて
練習はいつ見に来てもいい・・・衣装づくりはお母さんたち
こっちで子どもたちが練習している・・・こっちでお母さんたちがミシンをかけている
新しい歌ができたな、新しいダンスができたな・・・子どもと一緒の感覚

ポスターをお店に・・・実行委員や保護者の人たち・・・一軒一軒訪ねて約300店舗
最低で3回、多いと4回、5回・・・ミュージカル通信などを渡し子どもたちの様子を話していきました
お店の方々にも「あぁ、自分が住んでいるまちの子どもたちを応援しているんだなぁ。」という気持ちを・・・

支援をして頂くフィルムケース・・・お店の方に話しておいて、お客さんに説明をして頂く
200店舗に置いて頂いて・・・約2000コ近くが戻ってきて
いろんなことで人はつながっていける・・・

子どもたちは6〜7人のグループに
グループに「子どもパートナー」という人たち・・・子どもたちと専門家との橋渡し役
だんだんにどの子もかわいくなってきちゃう・・・
思春期の子どもを持っている家庭・・・親子関係というより仲間になって

一人の楽しさがみんなの楽しさに
自分ができることをして・・・自分を楽しくして・・・、まわりも楽しくしていく

ミュージカルはそう毎年やれることではないけれど、なんらかのかたちで続けていきたい

(宮本 照嗣)
 はい、ありがとうございます。みなさんおひとりおひとりづつ1時間以上しゃべれるような濃い中身をほんとに持っているんです。
私も補足したくなる様な事が山ほどあって大変なんですけれど、全部割愛します。
えー次、一市民、一個人からのまちづくりと言う事で、新谷義男さんよろしくお願いします。


《以下は作業途中です》

【パネラー発言3 一市民、一個人としてのまちづくり】
週末NPo(Non-Profit activity of oneself) 新谷 義男

えーどうも、こんにちは、新谷です。
本当はこういう所に立つのはどうかなと思ってはいるんですけれども、たまたまこう言う「子どもとまちづくり」と言うテーマにも惹かれるんですけれども、こちらのまちづくりNPOフォーラムのお手伝いをするようになったので、話しているうちにこういう所に来てしまったのかなと思っています。

私はプログラムに書いてあるように、何か訳の判らない週末NPoのoは小っちゃくてコーディネーターなんて訳の判らないのが載っています。
その前に会社員って載っかっています。
私は佐倉市に来まして実はまだ2年と3ヶ月です。
佐倉市の方と関わりを何らかの形で持ち始めたのは、だいたい5年前くらいです。

はじめの出会いは、民家町並み保存連盟全国大会東京ゼミというのがありまして、こちらに木瓜の会という、今、手づくり工房さくらの方の運営母体となっておりますが、そちらの女性3人がおいでになっていて、言問団子を休憩で食べていたら、「どちらから来ましたか」みたいな話がありまして、当時八千代に居ましたので、八千代台の方に居ますということで、そうしたら隣ですから、また職業柄、建築の方をやっていますので、そういう話をしたら、ぜひ建築の人いないので民家を再生したい、使っていきたい、生かしたい、そういう伝統的な街並みを何とかしたい、なんて話があったので「じゃ、あのちょっと近いし、月一回くらいなら行きましょう」なんて感じで佐倉に来はじめたのがスタートです。

そこで町歩きだとか、町歩きをした後のワークショップとかやって、印旛支庁舎の跡地の利用をどうするとか、みんなして考えたり。
あと資料にあります市の美術館の永山さんたちと「まちかどギャラリー」で、一緒にお店を回ったりとかしました。
これは非常に良かったと思うんですけれど、一軒一軒お店を回って現場を知ると言う、小栗先生の話もそうですけど、本当に一軒一軒回ると反応が様々で非常に勉強になって、あれを契機にグッと佐倉に来たいなと言う気持ちが芽生えて来たんだと思います。
まあ何だかんだやっているうちに佐倉にくる、お城もあったりなんかして非常に情緒がっていいなと思って、緑も多くて、これは子どもと遊ぶにも丁度いいや、なんて感じで佐倉に2年3ヶ月くらい前に引っ越してきまして、今お城の脇に住んでいます。

しばらくは子どもたちと遊んで家族といっしょに散策とかして、夏休みとか遊んでいたんですけど、ちょうど今ぐらいですか、11月くらいに早稲田の商店街の安井潤一郎さんが生涯学習課のセミナーで来られたときに、これはテレビに出ていた安井さんだからちょっと聴きに行かなくちゃ、なんて感じで、ちょっと行ってしまったのが運のつきで。

そこでたまたま今佐倉茶屋の方で、さくら塾の方を主宰している中村正明さん、高千穂ネットワークの社長に会って、年齢的にも近かったと言うこともあるんでしょうけれども、非常にざっくばらんに話ができて、 「ちょっと佐倉茶屋というのをオープンさせるのでペンキを塗るんだ。」なんて話が出て 「まあペンキくらいなら子供と手伝いにいきましょうか。」なんて感じでペンキを塗りながら1日ペンキ塗って、白くなって話をしてると、まあいろいろと人間ですからいろんな話が出て、 「じゃこの辺のスペースをギャラリーで使わしてもらってもいい?」って感じで今ギャラリースペース・カズっていうのを開いて。
ここには子どもの手形が押してあって、だいぶ手が大きくなって、はみ出ていますが、子どもの名前が和紘って言うのでカズと言う名前がついています。

そういうことで佐倉に来てからは、いろいろとさくら塾はじめ“まちづくりフェスタ”でTMOの方に関わり合ったりとか、“ふれあいウォーク”で千葉県ウォーキング協会の人と話をしたりとか、いろんな人と出会うことが多くなりまして、色々やってますと会社員ですので、なかなか大変なんですよ会社員は。
1時間45分かけて会社行きますので帰りも殆ど日を、いつも午前様ではないんですが、日をまたいで帰ってくると言うことで。

ただあの、やりながらちょっと引っかかるのがずっとあったんですね。
で何かなと思ったら佐倉に来るまでは、私、参加者なんですよ、基本的に。
参加者だったんですよ10何年。
ところが佐倉に来てから主催者側に回ることが多くなってきたんですね。
スタッフとしてとか、あとはちょっと知恵貸してとかでアイデア出したりとか、何かいつも片隅にいるようになってきて。

でもやってみるとなかなか人が集まらないんですよ。
もっと集まってくれるといいな。
参加してもらってもっと皆と感動を共有できて、なんかどんどんまちが良くなって、そういうのを実感したい感じがあったんですね。
でもなかなか集まらない。

何だろうなとか思いながら、ずーっと悩みながらこの研究会の方もやっていて、まあお風呂に入っていて何だろうななんて思っていたら、何か急に閃いちゃったんですね。
何だかボーンとかって、 「あー、やっぱ人だな!」と。
ひとりひとりの人であってやっぱ個人なんだな。

で、僕に置き換えて見たときに、やっぱそうだな。
まあ自分がたまたま好き者なんですよね。
だからこう入って、いろんなことをやるにしてもその個人の人が意識をしない限り、まちは良くならないし、コミュニティはできていかない。
突き詰めていけばひとりひとりのつながりでしかない。
それが大きくなってきて、こうやっていろんなことをやっているNPOの団体ができたり、いろんな活動をされている事が支えられているんだ。
NPOを支えている人も当然一人の個人だし、その人の意識と言うものにつながる。
そう言うことに気が付いて何か妙に気が楽になったんですね。
今まで主催者側なものですから、いろいろとストレスが溜まるんですよね。

ところがね、違うなー。
僕は個人で、ただ単に好きでやっているNPO、個人のNPOなんだという風に考えはじめたら急に気が楽になって、で活動は個人的な非営利活動なんだ。
まあボランティアという言葉もあるんですけれども、あれはどちらかと言うと奉仕って感じで、使いたくなくて、ついこの間までパートナーって使っていたんですね。
でもパートナーと言うほど働けない。
で、どうなんだろうって思ったときに、個人の非営利活動で“NPo”っていうのは非常にいいな。
それは英語で言うと“Non-Profit activity of oneself“なんて下手な英でつくってですね。
Oneselfの“o”が小っちゃいのがいいなと思って、“o”だけ小さくしたんです。

これが大きくなって僕みたいな変人が増えると、これが大きなお“O”になって実際の団体になるかもしれないけども、とりあえず今は僕しかいないので小っちゃい“o”で行こうと考えています。
そういう風に考えていくと地域づくりと言うのは、自治体のゴミ拾いとか草取りとか、選挙の投票これは国づくりですよね。
そういうところまで行っちゃうんですよね。
まずはそういう事を認識してもらうような活動を個人的にも少し考えて、できればそう言うことをどんどん拡げていければなという風に考えています。
本当は無意識に地域づくりをしていくことが理想だと思います。
自治体で呼びかけしなくたって、、連絡がくればね、サーとみんなが集まってきてサーとしゃべりながらでもゴミ拾ったりなんなりするのがいいんですけれど。
今はなかなかそういう雰囲気もないというのが実際にあると思いますので、そういったことを少し気が付いてもらうような、週末になると気になる人がいっぱいワサワサ出てきて人の輪が広がっていくようなことができていければいいなと考えています。

(宮本 照嗣)
えー、パートナーを卒業してNPoになられた新谷さんでした。
次の粟根さんには、何を話してもらってもいい、まちづくりについての不満を話してもらっても、自分のやりたいことを話してもらってもいいですよとお願いをしています。
よろしくお願いします。

【パネラー発言4 こどもの活動】
中学3年生 粟根 愛

初めまして!私は、和太鼓やロックソ−ランなど、最近はミニさくらにも関わり他にも様々な活動をいています。
私は、小さい時から佐倉こどもステ−ション(入った時は佐倉おやこ劇場でした。)に入ってたんですけど、小学3年生ぐらいまで友達みたいな人がいませんでした。
だから例会とか劇場の活動をしててもずぅ−とお母さんの傍にいました。
その時に同い年の子とかが楽しそうに話しているのを見ると自分は友達がいなかったのですごくうらやましく思っていました。
だから劇場での活動に行くのが嫌でした。

1番最初のきっかけは多分和太鼓だと思うんですけど。
それからどんどんいろんなことをやるようになって、友達もたくさん増えて、今は楽しく活動させてもらっています。
活動をするのに場所も大切だと思うんですけど、場所を作る前に一緒に活動する友達とか人の方が大切だと私は思います。
人がいれば場所なんかあまりこだわんなくても最初はそこらへんの家の前の道路でもどこでもいいと思うんですけど、人がいないのに場所だけあっても何もならないと思うんですよ。
もし、場所があるんだったら人がたくさんいたほうがいいと思うし、やっぱり人がいるから楽しく活動できるだと思います。

今のステ−ションの会員さんでも前の私のような人が何人もいると思います。
そんな人達も何かちょっとしたきっかけがあればどんどん積極的にステ−ションで活動をやっていけると思います。
私のきっかけは和太鼓だったけど、そんな大きなことでなくても「こんにちは。」だけの挨拶でもちがうと思うし、何かほんの小さなことがきっかけで友達ができたり、これからのステ−ションでの活動が大きく変わったりすると思います。
実際に私がそうだったので…。
(笑)やっぱりステ−ションの活動は見てるだけじゃつまんないです!!

そして、今、私はたくさん友達が出来て楽しく活動しているのでこれで終わらせるんじゃなくて、いろんな活動をしててその中で新しく来たりした人達や今まで知らなかった人達と今度は自分が話しかける方になって、きっかけを与えて大人も子どもも関係なしでどんどん仲間みたいな輪を増やしていきたいと思います。
なんか日本語がおかしくなってると思うんですが以上です!ありがとうございましたぁ!!
(宮本 照嗣)
ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
先ほど大変駆け足で紹介した、研究会で話していただいた団体、それから今、いろいろ話していただいた皆さん。
中には、まちづくりが必要だから「まちづくり」ということで動き出した人もいますし、誘われて動き出した人もいますし、まちづくりだとは自分ではぜんぜん気がつかないで、まちづくりをやっちゃっている人もいるという様子が出てきたと思います。

この団体から今話されたこと、これを深めていくとこれだけですごい話が展開していくんですし、それが実は佐倉のまちづくりの凄いところだと私は思っているんですけれども、そうではなくて、今日はせっかくのフォーラムですから、会場においでいただいた皆さんから、今の話を受けて私はこう考えたという事でもいいですし、そこのところ本当はどうなのと言うご質問でもいいですし、あるいは、私はあなたの活動についてこんな提案があるよと言うお話でも結構です。
先ほどお話いただいた御3人からの発言でも結構ですし、どなたからでも結構ですから、ご意見、質問等いただきながらみんなで考えていければと思います。

お願いなんですが、偉い人の発言とか、そういうのはどうせ本とか出ますよね。
皆さんに今日、こどもとまちづくり研究会で聞いた話、全部書き起こしてお配りしているでしょう。
今日のフォーラムの話も、最初の講演から、今皆さんが話している話、これから皆さんが話していただく話、全部記録して印刷物にします。
ですから、お願いなんですけども、こんな狭いところですから声は通りますよね、だけど記録しようとするとテープに入ってないものは起こせないんです。
ですから申し訳ないんですが、担当がマイクもって走りますので、ワイヤレスマイクが2本ありますので、是非手をあげていただいて、活動なんかをやられている方は団体名をつけていただいてお名前を言っていただいて、それから発言をしていただきたいと思います。

それではどなたでも結構です。
ちょっと言ってみたい、聞いてみたいと言う方、どうぞ気軽に手を上げていただければと思います。
とりあえず何人ぐらいいらっしゃいますか。
手を上げてみてください。
それでは中央の方どうぞ。

(浜田 靖彦)
私、印旛沼を挟んで北側にあります栄町というところから来ました浜田と申します。
仕事は地域交流センターと言うNPOで働いております。
まちづくりNPOの全国版と言っていいでしょうか。
今日は奥津さん、新谷さんと仕事を通じて知り合いまして、お誘いを受けてまいりました。
午前中は奥津さんの活動を拝見しましてとても感激しましたし、また、このフォーラムとてもすばらしい話しをたくさん聞けて、今日はとてもいい時間をすごしました。

質問と言うより、突然、今日お話しをいろいろお伺いしていて閃いたことがありまして、皆さんにちょっと聞いてもらいたいなーという事があります。
それは何かといいますと、寺子屋復活をしませんかと言う提案なんです。
もう一人賛同者の方がいらっしゃいますけれども。

実は、昨日なんですが、回想法と言う取り組みを熱心にしていらっしゃる方とお会いしまして、その方が実は、寺子屋回想法と言う取り組みを最近始めました。
回想法と言いますのは、お年寄りがぼけていくのを防ぐための治療法のひとつです。
お年寄りが昔の自分たちの体験を思い出したり、それから映画を見て昔恋をした初恋の人を思い出したりしながら若返りをしていく。
それがぼけの防止につながるんだよと言う取り組みが回想法といわれていまして、それをお寺でやって子どもたちに語りかけると言うことを始めたんですよ。
それにすごく共感しまして。

私自身大学が宗教学専攻でしたので、これまでお寺と言うところは、葬式仏教だとか。
檀家からお金とってえらい儲けて外車乗り回しているとか、悪い印象かなりもたれてますが、実はお寺と言うところは、本来、いい行き方を住民に伝えていくための本当に大切な、住民のための住民が集まる拠点だったんですね。
ですからその、まちづくりの拠点として今もう一回お寺を見直しませんかという提案をさせていただきました。
何かコメントがあればパネラーの皆さんお願いいたします。

(宮本 照嗣)
はい、新谷さんどうぞ

(新谷 義男)
新町通りの旧町のところに、妙隆寺さんと言うお寺さんがあるんですね。
面白いなと思ったのは、妙隆寺さんはお堂でコンサートと言うのをやっているんですね。
この間、こいこいコンサートを佐倉こどもステーションがやられて、あれは密蔵院さんだったですけど、やはりそういう素地があると思いますね。
寺子屋みたいに、小さい時お婆ちゃんに連れられて、僕は話がぜんぜん分かりません子どもですから、でもいろいろと説法を受けて最後にお土産をもらうような事があったりしました。
佐倉はお寺もたくさんあるし、いろんな活動をされている所もありますから、是非そういうのは住職さんの理解があればいいと思います。

(奥津 輝久)
寺子屋事業があるんですよ。
子育てネットワークと言う、今日子育てネットワークの方見えてます?そこと、今の浜田さんと連携とっていただくと面白いと思うんですけど。
実際寺ではやってないんですけど、職人さんたちの技を子供たちに教えて、将来そのこどもたちが、その技を生かすかどうかは自由ですけれども、子育て支援のひとつでやっていますね。

(宮本 照嗣)
組田さんいかがですか?

(組田 香織)
10月からこどもの城からの助成金で、佐倉寺子屋と言うモデル事業を、来年の3月まで月2回ペースで、子育てネットワークの佐倉子育て応援団ていうのが始めたのですけれども、第1回はボーイスカウトの先生たちが来て頂いて、野外活動とか体験、奥津さんの草木染もやっていただいたそうなんですけれども、そういった、市民が先生になって子供たちにいろんな活動を、体験学習していただくというモデル事業というのをやって、2回3回と、師匠登録と言うか先生登録していただいた市民の方々が自分で授業を考えて、市内の小学生と幼稚園生ぐらいのお子さんたちで、これからやっていくと言う状況なんで。

まだ第一回が終わったばかりで、第2回目は乳幼児向けのベビーマッサージっだたんですけど、台風で流れてしまったので、11月からまた本格的にやるっていう形になっています。
お寺を使うわけではなくて、市民が先生となる本当の、市民が先生となる事業なんで、ネーミングは寺子屋なんですけれども、まだ、始まったんであれなんですけども、そういう活動がぼちぼち始まっていますので、よろしくお願いします。

(宮本 照嗣)
はい、ありがとうございます。
まちづくりをやっていきますとモデルが、実は地域社会が昔持っていたやり方にモデルがあるというのが結構あるんですね。
ですから、今の寺子屋の話し、浜田さんがおっしゃったようなやり方もありますし、組み合わせることもぜんぜん問題なく可能ですし、いろんな方向があるんじゃないかと思います。
次ご意見の方は?

(菅 博嗣)
菅と申します。
今お話を伺っていていろんなきっかけがある佐倉という町に、ああ素敵だなと言う思いを持ちました。
寺子屋の話も、子ども職人の講座も開かれている事も資料にあって、ああ、いろんな事やってらっしゃるんだなと思いました。

新谷さんはほとんど終電帰りの生活をされていると言うような話を先ほどされていましたが、3人のお父さんの年代の方が出ておられるんでほっとしておるんですが、私も子育てのお父さんなんですけども、なかなか地域の中に入って行くきっかけが無くて、それで実際、3年生と5年生のこどもを小学校へ行かせているので、ガーデニングボランティアということで自分の小学校の花壇づくりをやっているんですけども、 行くとお母さんばっかりなんですよね。
来ない方が良かったかなと言う議論になる、どうしようかなと言う場面が実際あるんですけど、いろんな人たちと、いろんな組織との連携と言うのもあるんでしょうけども、家族の中でお父さんとの連携と言うか、お父さんの居場所を子育てと言うときに、どうまちの中に押し出してあげると言うか、作ってあげるかとかですね、そんな話をちょっと伺えればなと思いました。

特に、大場さんの話の中でお母さんがミシンを持ち込んでという話なんか素晴らしいなと思ったんですが、お父さんは何か持ち込んで一緒に楽しんだこととか無かったのかな、なんかそんなきっかけでお父さんを子どもと一緒に楽しませる事が無かったのか、聞かせていただければうれしいと思います。

(大場 博子)
プレ公演のときは音楽ホールだったので大道具と言うのが必要になりました。
新谷さんと奥津さんが大道具のトッププランナーでして、お二人が呼びかけて、でも来たのはお母さんたちと子どものほうが多かったのですけど、数人のお父さんとでしてましたよね。

あと、お父さんが子育ての現場に、地域にと言うのは私たちにとって課題と思っていまして、やはり男の人たちの働き方が変わらないと地域の中にはいられないですよね。
一人の人がどう思おうと、仕事は長い時間やって、もうくたくたになって帰ってきて、それこそ休日は寝ているとかそういう姿になってしまうと思うので。
そこのところ、働くと言う視点が経済のためと言うよりも、人のためというか、もっと言えば子どもが育つ環境のためと言うか、そういうとこにシフトして、制度も変わっていかないと、そこは出来ないだろうと思います。
今日午前中に佐倉こどもステーションの理事会がありまして、そこで聞きかじったばかりの話しなのですが、先駆的な企業、広島のマツダは男性も三日間取れるんだそうです。
それも制度はあっても実際どうかということはわかりませんし、制度とそれを堂々と取れる、喜んで、おっしおっし!産休よく取ったなみたいな感じが出来ていかないとむづかしいだろうなと思います。

若いお母さんたちもすごくそこに遠慮をしてしまったり、男女共同参画社会と言われながらも逆行の流れを感じることもたくさんあるんですね。
日曜日に夫が家に居るから、子どもと何か、例えばたつのこ村に行きたくても行けないとか、どこどこのコンサートに行きたくても、夫が居るから行かれないと言うような話もよく聞くので、すごく根は深いなと感じています。

(菅 博嗣)
根の話になるんではないかと思いますが、先ほどの大場さんの話で、声が小さい子どもがだんだんと大きな声になったときに「なになにできるようになったじゃない。」と声をかけてあげるという話がありましたね。
自分の得意に気づくことっていうお話があったんですが、まさに我々男がですね、自分の得意に気づくというそのチャンスをみんなでどう準備するかということがあると思うんです。
いいところをみつけてあげるって言う話もあったじゃないですか、女の人が男の人・・わりとこうさみしがりやなもんで、いいところを見つけてもらってほめてもらえるとすごく嬉しいんですね。
私、家内がいないので今言っていますけれど、なにかそんな工夫とかあれば教えてもらいたい。

(大場 博子)ミュージカルに関わった人で男性で・・その人も終電組です。
30代後半ですね。
愛称「おじさん」と呼んでいた人ですがミュージカルの劇中の歌の作曲をしました。
その人も最初は子どもの付き添いとしていらしたんです。
「わけのわかんない団体がミュージカルやるって、うちの子行きたいっていうんだけど・・・。」って言いながらいらしたんですけれど、だんだんこう、ウズウズの虫が押さえきれなくなって「僕もやりたい。」って名乗りを上げました。
実際話を伺ってみたら、学生時代からバンドはやっていた、一時はこれで飯が食っていけないかとも思った、ということでした。

かなりなストレスというか激しい仕事で胃潰瘍と十二指腸潰瘍を患っていらしたんです。
ですがミュージカルに関わりながら2ヶ月で治ってしまって、お医者さんから「あなたなにか特別のことをしたんですか」と尋ねられて「僕ミュージカルをやりました。」と答えたそうなんです。
曲は仕事から帰ってからつくるので、寝るのは2時3時になるんですね。
体はきつかったのに、とご本人もすごく不思議がっていました。
「自分の得意を生かして現場にいく。
子どもたちがそれに反応してくれる。
その喜びが何者にも変えられない。
それまでは休日は疲れて掃除機につつかれながらゴロゴロして、お天道様が沈む頃には缶ビールの2,3本も空いている、というグウタラおやじでしたが変わりました」。
というようなことをご本人がおっしゃっていました。

(宮本 照嗣)
はい、次発言されたい方。
どんどん行きましょう。

(守田 泰子)
NPO佐倉こどもステーションの守田です。
こどもステーション関係でひとつと、あと地元でやっていることをひとつお話したいと思います。

こどもステーションで何年か前にたまり場ぽけっとというのをつくりました。
そのときに、「子ども一人が育つためには村中の大人の手が必要だ」というアフリカのことわざを合言葉にして始めました。
今、パネラーの方や会場の方たちのお話を聞いていても、町作りというのは、そこに家があって人が住んでいるから町になっているわけではなくて、その中で温かい人のつながりがあるからこそ町なんだと思うんですね。

わが子を育てていて、わが子も小学校、中学校、高校になりますと、本当に親といる時間よりも、外にいる時間のほうが長いです。
外でいったい何をしているんだろうと思いますけれど、知り合いがたくさんいますと本当にいろいろなところで子ども達のことを見ていてくださいまして、危ないときには教えてくれますけども、内緒の話のときには、内緒ねといって教えてはくれないんですけれど、いろいろな所でいろいろな方の温かい人のつながりの中で子どもは育っているなあと思います。

そういう町になってほしいなと思うんですけれど、地元で、何年か前に小さいお子さんを持ったお母さんと話しているときに、「公園に行っても誰もいないのよね。
だから公園に行かないの」ということを聞きました。
私が最初の子どもを育てた頃は、まだ子どもがたくさんいましたので、公園デビューというのが話題になりましたが、その後は、子どもがどんどん少なくなってお母さんたちは、ジプシーのように車に子どもを乗せて、子どものいる所を求めて、さまよい歩く、どこの公民館で子どものこういうのをやっているのは何曜日、次の日はどこというふうに渡り歩いているんですね。

でも、そこで人のつながりはできないので、確かにその時間は楽しい時間を親子で過ごせるのかもしれませんが、やっぱり、さびしい状態は変わらないと思うんです。
私は、小学生ぐらいまでの子どもたちは、自分で歩いていけるところに何かそういう場があるといいなと思っています。

それを近所に住む会員さんに話しましたら、自治会に働きかけて、自治会主催というわけではないのですが、仲間を集めて、自治会館で子育て広場かるがもというのを始めました。
それは、そこに住んでいる地元の人で子どもはもう育ちあがって、暇だし、子どもが好きだし、ちょっとお手伝いをという方たちがボランティアをしてくださって、地元の人たちの小さいお子さんを持った方たちが来ているたまり場です。

地元でやっていますから近所に赤ちゃんが生まれたとか、お子さんを持った方が引っ越してきたというと、こういう方が隣、近所に引っ越してきたから一緒に来てみたのとかいって連れてきてくださるんですね。
それで輪がどんどん広がって、多いときには30組近くみえるのでうれしい悲鳴を上げています。
そこは2週間に1度しかしていないけれど、同じ地域に住んでいますから夕方集まって遊ぶ約束をしたりとかっていう人のつながりがどんどんできて、最初の子たちがもう小学生になったのかな、町中で会うと手を振ってくれたりするんですね。

こんなことをやっているうちに小学生のもほしいねということで、今、毎週月曜日の夕方小学生が集まって公園で遊ぶというのをしています。
大人は見守るだけで何も手出しはしません。
でも週に1回そういう場をやっているということで前は公園で遊ぶ子どもたちはとても少なかったですが、やっている曜日以外にも子どもたちが公園で遊ぶようになってきました。

その様子を見ていた大人たちが、うるさいといっていた大人が、だんだん子ども達の顔がわかってくると、子どもたちのやっていることは変わらないのに、かわいいねとか、竹馬ができるようになったんだよとかいうように変わってきました。
こういう子どもたちが集まる活動を通して人のつながりができていくのかなあと思ってやっています。
そういうことが大事かな。
人のつながりが大事で町づくりにつながると思っています。

(宮本 照嗣)
はい、ありがとうございます。
ほかに・・、どなたでも結構です。

(高根澤 直子)
どろんこクラブに所属しております高根澤といいます。
私も昔、親子劇場のときに入っていたんですけど、実はやめてしまった口なんでね。
先ほど粟根さんのお話の中にあったのですけど、私も行って、「面白くないな。
別に仲間が居ないし面白くないな。」私は「面白くないな」そのままで止めてしまった口なんですね。
見には行っていた、参加してはいた。
やっぱりどこかで声を掛けてほしいというか、根本的に人間て寂しいものだと思うので、仲間を作りたいって言う気持はあると思います。

今、森田さんのお話にもあったように、私はジプシーをやっていましたし、確かに今もジプシーかもしれない、でもやっぱりそれはどこかで仲間を求めて、自分と同じ周波数の人を見つけたいとか、なんかそんな感じで町に出ていると思うんですけれども、それがこのまちかどフォーラム、まちづくりの中で、そんな声を汲み取ってくれる要因となったら素敵なんではないかな、なんていう風に考えています。

(宮本 照嗣)
はい、ありがとうございます。
いっぱい話しが、がんがんがんがん出てきまして。
皆さんの話で、今のお話で「人間て、寂しいものなんですよ。」っていう言葉が出て、私ちょっとジーンときてるんですけども、一人では生きられないんですね。

日本では、交通事故よりも自殺のほうが今多くなっちゃっています。
子どもも孤立してる、だけど大人も孤立してる。
で、孤立してる大人に「大変だから手伝ってよ!」と言って声を掛けると、いやいやのような顔をして喜んで手伝いに来てくれる。
そんな大人がいっぱい居ますので、先ほど菅さん、菅さんは実はパークマスターと言うとんでもない仕事をやってまして、日本の公園の姿を変えて行っている最先端を飛んでいる人なんですけど、その人が自分も地域にはなかなか参加できないと言われるのを聞いてちょっとびっくりしたんですけれどもね。
そういうふうなポイントが、今、一回り出てきたのかなと言うふうに思います。

(小栗先生の手が挙がっている)
小栗先生は別のポイントでないかと思うんですが、いかがですか?

(小栗 幸夫)
ありがとうございます。
あの、まったく違うポイントではないんですね。
菅さんがね、そういうふうにおっしゃって、私も今日こういう場所に呼んでいただいているから、佐倉のまちづくり、本当に僕はさっき申し上げたように、僕は佐倉のことを知らない。
とりあえず、大場さんにもすでにお会いしているし、高木さんからも頻繁にメールいただいているわけですね。
こういう場合、いただければそこがきっかけになるんですが。

私は池袋に住んでましてね、駅前のマンションに住んでいるんですけれど、私、市川にまちづくりに当然参加しているし、ここでもそういうきっかけがあるんだけど、やっぱり池袋に無いんですよ。
豊島区と言うのは市民大学ってのをやっているんですね。
そうすると地元の人をね、僕は地元の人ですね、池袋にとっては、大切にしてくれないなあと思ってんですね。

で、さっき、実は能力は発揮したい、実はさびしい、すべてつながっていて、その場で能力発揮できればそれは幸せなことなんですよね。
人のためになることってほんと幸せなことで、その仕組みをどうしたらという事を質問しようかと思いながら今考えてるんですけど、今いろいろやっていらっしゃる子どもステーション、それからミュージカルとか考えるとね、僕は昨日まで、今日の朝まで名古屋に居たわけですから、名古屋では愛知万博あるんですよね。
そうすると市民プロジェクトって言うのがたくさん立ち上がる事になってるんですが、博覧会やっぱり大きい企業は強いんですよね。
85年に僕は筑波の博覧会体験しているんですけど、僕は筑波大学に前勤めた、さっき申し上げたんですが、そのときに、その当事西武百貨店のグループの会社に居たので、西武百貨店のすぐ脇でレストランをやりまして面白かったんですよ。
でもやっぱり博覧会には勝てない。

で、何がいいたいのかというと、本格的なある種の、市民が一人一人中心でパビリオンを持てる仕組み、博覧会で言えば。
それを、わからずに僕は手を上げたわけですけど、何が言いたいと言うと、菅さんを囲むパビリオンが一つありますと。
それから粟根さんのパビリオンが一つあって、みんなそれがイコールのレベルって言うか、それでちょっと尋ねていくと、そこで菅さんのこの凄い、僕は菅さんがどっかでお名前聞いたような気がするんですけど、「あ、ココに菅さんが居たんだ。」っていう発見。
僕が池袋に住んでいますね、すぐ立教大学あるんですね。
立教大学は僕を呼んでくれないんです。
ま、僕は有名じゃないって言うことだろうと思うんだけど、それ以上に重要なことは、地元にそういうものがあるっていう事を探し当ててないんですよ。

で、どうしましょうかっていう事なんですけど、皆さんがそこらのことを議論していただくと、男性の悩みでもあるし、この間までの、愛ちゃんの悩みでもあったわけだから、みんな悩みを抱えているって言うこと、悩みをちょっとここであれすると、で、一つだけちょっと提案がありますけれどね、ま、いいか、後でいいや。

(宮本 照嗣)
今の小栗先生の話、一人一人が自分の得意なところとか、それを出せるような一人一人のパビリオン、そういったものがまちの中にあったらどうかな、そういう仕組みってどうしたらいいんだろう、そういうようなお話だったんですけれど。

皆さんのなかでですね、実はそれをやっちゃっていると言う人とか、こういうアイデア聞いたことあるよと言う方が、多分、・・実はこっちも知っている人はいるんですけれど、こっちはちょっと黙らせておいて・・、フロアーの中で多分ご存知な方いらっしゃると思うので、手を上げてご紹介いただけないでしょうか?
はい、じゃ黒木さん。

(黒木 裕子)
NPO佐倉こどもステーションの事務局長をしております黒木です。
やっちゃっている状態ではないんですけれど、私、さっき奥津さんの話を聞いて、いい男やなと思ったんですよね。
血みどろになって遊ぶ、今日はけがをしてもらいます。
いまどき、こういういい男はいないですよね。

何を言いたいかといいますと、やっぱり、今、遊び心がすごく欠けている時代だと思うんですよね。
で、ステーションでもやっているのは大人と子どもの付き合い方の根底に遊び心があります。
で、一緒にこう楽しんで遊んじゃうことで距離がガアーッと近くなるんですよね。

もちろん、だから新谷さんのおっしゃっているとおり、やっぱり個人って言うか個が何か持っていないとそれは感応しないと思うんですけど、何かそういう一人ひとりの個に対してピッとアンテナが働いて、あー今、奥津さんと遊んびたいと私は思ったんですけれど、ぜひ一緒に遊びませんかという提案とともに、やっぱりそういうところで子どもと大人が本当に子どもだけではなくて子どもも大人もこう年齢を超えて、つながりあえる自在さが出てくるんじゃないかなと思っていて、実際に実践という形ではないんですけれど、日常的に、常にそうやって遊んでいると、本当に仲良くなれるんですよね。
議論してて、話をしててもなかなか仲良くなれないで、やっぱり遊ぶのが一番だというふうに私は思います。

(宮本 照嗣)
エー、これはちょっと粟根さんにフォローしていただこうと思うのですが、いかがですか?

(粟根 愛)
ステーションで活動してて、年齢とか関係なしに、一緒に活動してて、ぜんぜん年齢とか感じなくて活動できているんです。

(宮本 照嗣)
実はこれ、子どもステーションの素晴らしいところなんです。
一人一人にちゃんと居場所があるんですね。
佐倉市民ミュージカルに知恵遅れの方も何人も出ていました。
その人たちがですね、周りの子どもたちと一緒にぜんぜん臆することなく、ミュージカルの練習もすれば本番の舞台にも立っちゃうんです。
そしてミュージカルの場が自分の場と成ってきたときに、本当に大きな声が出て、明るい声で発言したり、活動できるようになるんです。
それをみて素晴らしいと思っていたのですが、実はもっとすごい話がありまして、その子どもたちはステーションの事務所、事務所ってのは子どもも大人も出入りして車座になって活動しているんですが、そこに出入りしてるんですね。
どっちかと言うと、もう主になっているんですね。

その子どもたちが最初に来たとき、やっぱり周りの子どもになじめない、後れてしまう、気後れしてしまう、浮いてしまうと言う事があったそうです。
ステーションの方何と言ったと思います?「すいません、3年待ってください。」その積み重ねがあったんですね。
ですからもう、ステーションの大人の人とも、周りの子どもの人とも、本当に友達になってやっていて、そういう下地があってミュージカルの本番で力を発揮、能力を発揮することが出来たということをお伝えしておきたいと思います。
ほかに・・・。
はい、どうぞ。

(浜田 靖彦)
先ほどの小栗先生の質問にお答えしようと思います。
私の勤めております地域交流センターで「まちの駅」と言う取り組みをしています。
これはですね、正におっしゃったように、一人一人のパビリオンと言いますか、一人一人のまちの駅を全国に創ろうという運動論の展開です。
皆さん「まちの駅」と言う言葉はあまりご存じないと思いますが、「道の駅」はご存知の方が多いと思います。
うちの会社で提案しまして、最初は本当に広場に駐車場のスペースとテントを張ってそこで物産品を売って、仮設のトイレと公衆電話を置いただけの実験の施設として始めたものが、今は全国に広がって400、500箇所近くありますね。

で、実は「道の駅」と言うものを思い立った本当の趣旨はですね、地域の人と人が交流するための施設にしたいと言うのが主目的だったのですが、国交省の事業になったとたんに、本来の目的である人と人との交流と言うのがだんだん小さくなって、それぞれの町の宣伝のためだけの施設になってしまったのですよ。

これでは本来の目的を達していないから、「まちの駅」を創ろうじゃないか。
まちの駅は個人でも出せるし、要するに民間でも出せるし公でも出せる。
誰でも出せるんですよと。
それぞれ自分たち一人一人が持っている、例えばお蕎麦屋さんだったら「そばの駅」、酒屋さんだったら「酒の駅」、それから、それこそ寺でしたら「お坊さんの駅」でも「寺の駅」でもいいですね。
とにかく規制なんか何も無いんだ。
自分がやりたいことをそこの場所でどんどん広げていく。
そして自分の住んでいる町を外に対してどんどん宣伝するんだ。
そういうふうな目的で「まちの駅」という取り組みをしています。
詳しいことは後でよろしければお伝えします。

(小栗 幸夫)
誰が場を造りますか?例えば駐車場を作ると言ったとき、誰かが借りてこないといけないですよね。

(浜田 靖彦)
基本的には施設の要件としては、休憩できるちょっとしたスペースと、それからトイレを貸さなきゃいけないですね。
駐車場は別に必要ないんですよ。
歩いていけばいいですから。
車で行く必要も無いんです。

(小栗 幸夫)
駐車場と言ったのは、その、「まちの駅」を造る場が必要ですよね。
誰が誰に頼んでそういう場所を確保するかという事を聞いたんです。
パビリオンを作る主催者って事です。

(浜田 靖彦)
呼びかけ自体は私のその地域交流センターって言う所でですね、呼びかけを。

(小栗 幸夫)
田中栄治さんの所なんだ。
よく知ってますよ。
メンバーでも(知り合いが)いるからね。

(浜田 靖彦)
地域の交流という事がメインですから、例に出して言いますと、例えば私の住んでいる栄町と、それから佐倉でそれぞれでまちづくりの活動を盛んにやっていますと。
それを地域の交流と言うことでもうちょっと、千葉県にもそれぞれ市町村で点で活動しているものを、面にしてもっと有機的な活動、広がりを持った活動にしようと言うときに、「まちの駅」というツールとして考えて、「まちの駅」を使って人が行き来をするいろいろなそういう仕掛けをしていこうという事を、「まちの駅」を使って提案してきています。

(宮本 照嗣)
はい、ありがとうございます。
先ほどご紹介した講座の中では、延藤安弘先生が「まちの縁側」と言って、「まちの駅」とはちょっと趣旨が違うんですけども、やっぱり交流したりネットワーキングが出来る拠点を提供していますね。
実はパネラーの方もですね、「俺にも話させろ!」と言うのがおりますので、ちょっと新谷さんにマイクを渡したいと思います。

(新谷 義男)
あの先ほどの菅さんからの話のときも「ちょっと話したいなー」と思いながらあれだったのですけど。
一つはあのー、今日は男性の方多いと思うんですね。
であのー、いつも行くと大体女性の方が多いんですけども、今日は非常に男性が多い。
ひとつ私あのー、美術館のほうで体感する美術と言うのをやったときには、サラリーマンならぬ「さらりマン」と言うキャッチをいただいて活動さしていただいたんですけど、一点、会社員としてやってて問題になるのはやはり活動のペースですね。

あのー、NPOとかでやられている方は非常に、毎日そういうこと考えてますから、あのなかなかそのペースに置いてかれます。
却ってそういうことを気に掛けていただかないと、団体の中でその会社員とかそういう限られた時間で活動している人は何か置いてけぼりを食ったような感じがして、非常にさびしくなって活動も停滞しがちになります。
だからそういうのを何回か繰り返しちゃうと、折角こう、お父さん方で熱心な方なんかが居ても、そういう組織の中に入って活動するって事自体に、非常にこう遠慮がちになると言うか、まだ働いてるから無理だよみたいに、そんな話になりますね。

ですからそういう意味で、今日ここに団体で来ていらっしゃる方なんかは、ぜひお父さん方なり働いてる、これ女性も働いてる方は同じだと思います。
限られた時間の中でやりますので、まず相手のことを理解していただきたいということですね。

その中で一つ、私が仕掛けようとしているやつと地域通貨ってのが非常に似ているところがあるんですけど。
要はあの、いろんな個人的な得意な方、あの男性って言うか、逆に勤めている人のほうがいろんなスキルをお持ちだと思います。
これ、職業をしていますので、そん中のスキルを持っています。
それを地域に活かすと言うのが一番こう、働いている方の能力として非常に引き出したいところだと思います。
ですからそういった所を、あの、「私何が出来ますよ」と言うのをいかに街の中で共有できるかってことだと思います。

ですからそれを今、いろいろとやり始めているのでは、地域通貨の考えってのは一つあるなと。
で、私もちょっとそれは、私がしゃべるよか、そこに居る司会やっている桃ちゃんが、桃子さんが話をすればいいと思うんですが、そういう活動をサポート、皆さんでして、奥さんは「あんたこの地域通貨使ってきなさいよ!」と、いうな形で男性に渡せばいいんじゃないかと思います。

(宮本 照嗣)
中村さん。
ちょうどいいので今やっている彼女が始めている地域通貨、とっても面白い仕組みなんでちょっと説明してもらおうと思います。

(中村 桃子)
来年の三月に「ミニさくら」3回目を計画しているのですが、それに向けて千葉県の委託事業という形で、地域通貨、エコマネー<サクラ>の流通を10月17日に始めました。
これは、「ミニさくら」の準備にはたくさんの方のご協力が必要なのですが、今まで全く無償でやっていただいていたのを、べつにお金が出るわけではないのですが、「ミニさくら」に対するボランティアの様々なことに対して<サクラ>という、ここに持ってきています・・・こういう、おもちゃの銀行券のようなお金が出来ましたが、これを発行します。

それを地域でまわしていただきたいというのが主な内容なんですが、マッチングボードというのを無人のエコマネーステーションということで、このような100円ショップのコルクボードを置かせていただいている場所が市内に3箇所あります。
TMO事業のチャレンジチョップサクラと、NPO佐倉こどもステーションの事務所と、「ミニさくら」の会場になります中志津中央商店街の協力してくださるお店2店ほどです。

そこに、「サクラでお願いメニュー」というピンクのメニュー票と、「サクラでやりますメニュー」という黄色のメニュー票がありますが、こちらに、例えば、私たち今ほんとに誰かにやって頂きたい事で、この<サクラ>のパンフレットに一番重要な「千葉県委託授業」ということを入れるのを忘れてしまいまして、1万部にゴム印を押さなければいけないんですよ…(笑)この作業を500部につき2サクラ位でやってくださる方がいらっしゃらないかなと思ってお願いメニューに出してあるんです。
そういうことですとか、他には例えば、メンバーのお母さんが、「うちの中学生の娘の数学の宿題みてあげてほしい」というお願いを出しています。
塾に行かせるほどでもないけど、ただちょっと、最近わからないみたいなので、一度見て欲しい、というお願いです。
どんなことでもいいんです、お隣からおすそ分けの果物をいただいたときに「ありがとう」と言って<サクラ>を渡していただいてもいいのです。

そういう風にして、これは後ろに裏書できるようになっていまして、一番最初は例えば、誰にしようかな、木ようの家の中邨さんが「ミニさくら」のサポーター会議に出席してくださると、ここに「中邨さんの会議出席にありがとう」と書いて、御渡しします。
で、中邨さんが例えばお隣さんにアケビをおすそ分けいただいて、お返しに、「(例えば)鈴木さんのアケビおすそ分けにありがとう」と書いて、鈴木さんに渡すわけです。
で、最後まで欄がいっぱいになったら、エコマネーステーションに回収していただいて、新しい<サクラ>2枚と交換して頂きたいのですが、細かいことを言うと長くなってしまいますので。
こういう風に佐倉の中で「ミニさくら」の情報とともに、「ありがとう」の輪がたくさん広がって人のつながりが出来ていくということの足しになればいいなと思っています。
ありがとうございます。

(宮本 照嗣) はい、ありがとうございます。
実は最後に細かい事と言った所が一番大事なとこなんです。
地域通貨、こういう人達がこういう事をやってくれますと言うジョブリストを出して、そっからスタートする地域通過が多いんですけども、それは発展しません。
なぜならジョブリストに載った人に一回渡ったら後はジョブリストに載った人の中で廻るだけです。
ですから地域通貨をやったと言う自己満足が残るだけです。
今回ここでやろうとしている地域通貨はバトンリレー型。
誰々さんから誰々さんへという事で、次々に新しい仲間を増やしていこうと言う地域通貨です。
そしてさらに、一回巡回したら次は2枚渡すんです。
そうやってバトンリレーで仲間を増やしていこうと言う大変先駆的な地域通貨です。

(奥津 輝久) すみません。
出しゃばらせて頂きます。
今日のテーマ『こどもとまちづくり』。
最初、これをテーマにしようと決まった時に、私なりの考えがありました。
で、たぶんほかの方々も、何で今“こども”なんだろうかっていう意識は持ってらっしゃったんですね。
私は、“まちづくり”をやってきたのは大人達ですから、“こども”の視点で“まちづくり”をすべきだというようなことを言ってきたんです。
で、まさに『ミニさくら』のやっていることってのは、“こども”の視点の“まちづくり”です。
提案したいんですけど。
是非、常設にしていただきたい。
あの〜、あのね。
まちづくりをやっていくために何が一番必要かって考ると、あの〜、くさい言い方ですけど、「まちを愛すること」だと思うんですよ。
で、どうやったら、まちを愛せるかっていうと、新谷さんみたいにね、ほかのまちからこの佐倉を見て、惚れ込んで来た人もいるし、後から愛せるようになった人もいるんだけれども、元々ここに住んでる子ども達が離れていっちゃうじゃないですか、それで少子高齢化が進むんだけれども、離れないようにする為には、子ども達にまちを愛して欲しいんですね。
『ミニさくら』がやっていることは、日常、身の周りでやるべきだと思うんですよ。
あの〜もう、時間が迫ってて、なんとかその〜テーマのあるところで議論したいなって思ってたんですけれども、今日せっかくね、未成年の方が何人かいらっしゃいますよね。
その人達の意見も聞きたいし、あと、「自分は全然関係ないや」って言ってた『志津散策の会』の人達のやってることっていうのは、まさに“こども”に繋がっていくと、私は思ってるんですよ。
車椅子の視点は子どもの視点であり、弱者にとってのまちづくりを考えると、子どももお年寄りも、それから『木ようの家』さんもいらっしゃいますけど、そういう弱者の視点が必要なんだと思うんですよね。
せっかく今日お集まりの人達は、そういう、いつもその〜お偉いさんがやってる“まちづくり”の会の席では、いらっしゃらないような人達が多いので、そのご意見も聞きたいなと思います。

(中村 桃子)
ありがとうございます。
本当に「ミニさくら」常設、というのは壮大な夢ですが、「ミニさくら」を常設するとはどういうことかと考えると、本当に面白い、夢中になって主役になれることを日常につくるということ、あとはまちの中に子どもが活躍できる場所、居場所をたくさんつくるということ、と考え、少しづつやっていきたいと思っています。
先ほどのパビリオンの話で得意なことを生かす、ということにもつながると思います。

守田さんが「一人の子どもが育つには村中の力が必要」ということわざを出されまして、これは、ぽけっとの合言葉で、これを聞いた時もの凄く感動して、今でもその通りだと思っていますが、今年になってもう一つ、今のことわざをもじった言葉を、子どもの参画を第一人者で提唱しているロジャー・ハートさんの本から知りました。
間違ってたら、訂正してください、「まちが育つにはまちじゅうの子どもの力が必要」というフレーズがあって、これにもとても感動しました。

本当にその通りだと思います。
まちがまちとして育っていくのに子どももいろんな形で、血みどろになって遊ぶという表現としてもそうですし、しっかりとした言葉としても、さっきめぐみちゃんも凄いこと言ってくれたなと思いましたが、言葉としてもしっかり、どんなに小さな子でも持ってますし、いろんな能力も、凄い発想もあるので、パートナーとしての子ども、というのをまちづくりの中で考えていって欲しいなと思います。
(宮本 照嗣)
はい、ありがとうございます。
いろいろ話をしていきたいのですけれど、氏原さんの発言で皆さんからのご意見は最後にさせていただきます。

(氏原 強)
司会者の方から紹介受けました氏原です。
私は佐倉にお世話になって3年でございます。
今日も子どもとまちづくりというテーマで、いろんなところでも、全国でまちづくりについて勉強させていただいているわけですけれども。
本当に佐倉で子どもをまちづくりの中で中心的にやっていこうという、非常にいいことですし、小さいときから佐倉のいい所を子どもたちに教えてあげると言うのがですね。
実はこれ、まちづくりというのは裏返せば高齢化なんですよね。
お年寄りがどんどん増えていくんですよね。
高齢化率が20%とかですね、ある一定の数字になってくると社会システムが変わってくるんですよね。
これはもうどうしようもないシステムと言うか、流れなんですよね。
私はズーッとこれ、私のライフワークではないんですけど、循環的なまちづくりというものができないかという事で、実は私は一つの街の中に装置産業というかですね、仕掛けをしてきたのがメインなんですけど。
今日のようにその街の大切を教えるって言う事はですね、どういうことかと言うと、一旦子どもたちは大きくなって外へ出て行く、親はどんどんそこで高齢化になっていく。
今はどういうことかというと、どんどん高齢化になってスラム化していく。
例えば、今私お世話になっているのは江原台とか臼井とかですけど、それからユーカリなんていうのがありますね。
多分40台の後半から50台の前半の事業が成功したとか、勝ち組の人達が土地を買って家を建てて入ってきた人が多いと思うんです。
地元の人達も居ると思うんです。
そういう一つのなんと言うんですか、造られた街づくりが、これから例えば20年後になったときには皆さん高齢者になっちゃう。
ほとんどの方が65歳以上のオールドタウンになるんですよね。
もっと経ったらどんどん歯抜けの状態になって、そこにどのように後継ぎが入って来れるか。
これは今日皆さんがやっている子どもたちにそこの町のよさをやらないと、鳥がまたもとの生まれたところに戻ってくると一緒で、そういうこう仕掛けというのが非常に大切なんですね。
私は出来たらそういう一つの循環型の社会を作れないかということをズーッと主張してきましてですね、出来たら生前贈与で親が生きている間に子どもに財産を全部税金なしで渡せ、と言うことをいろんなとこに言っているわけですけども。
そういうことによって継承していくって言うんですかね、そういうシステムが是非佐倉で、そういう雰囲気っていうんですかね、一つの循環型の安心できるようなまちづくりを目指してもらいたいなと思っています。
実は私は、そこで生活するためには安心して死ねる街ですよね。
ということは、生まれた赤ちゃんから死ぬまでの間、皆さんが一番心配している健康のことがいつでも保障できると言うのが最大の安心だと思ってるんですよね。
そういう意味で私は保健医療福祉の部分を今仕事としてやっておりましてですね、そこの部分、実は聖隷佐倉市民病院の職員なんですけども、その病院、またはこれからどんどんそれに関わる保険とか福祉とか健康作りとかということをやって行きますけども、それを利用してもらうようなまちづくりに成って行ければいいのかなと思っています。

(宮本 照嗣)
佐倉にはいろんな資源がありますね。
人も歴史も。
新しく市民病院も、その資源としてまちづくりに参加しようと言うことで、大変ありがたいお話でした。
パネラーの皆さんのほうで是非これだけは一言言っておきたいと言う方いたら手を上げていただけます?よろしいですか? それでは時間もかなり来ておりますので、私のほうから、今日皆さんから出たお話に関連してちょっと話をしたいと思います。

飯塚君?飯塚君、はいいきましょう。
高校2年生で延藤安弘先生の講演会を仕掛けた人間です。
今日は上で音響をやってくれていました。

(飯塚 将太)
振り向けばいつも大場博子さんが居るんですけれども、飯塚と申します。
佐倉にほとんど生まれてからずっと住んでいるんですが、あまり長い間お話できないんで、しゃべりだすと止まらない人なんですけども、要点をまとめていきたいと思います。
僕が生活してて思うのは、今日もそうなんですけど、今日もいきなり、高校2年で別に商業高校とか通っているわけではないんですけど、普通科の高校に通っているにもかかわらず、音響をやれと、スポットを当てろと言われるわけですけど、そういうことがあって。

僕はロックソーランも踊り、粟根さんもそうなんですけど、ロックソーランを踊り太鼓も打ちという感じの生活を送っています。
僕が思うのは、まちづくりって言って、子どもが何か主体的に表現する場って言うのが必用なんじゃないかと言われているんですけど、僕は何か毎週それがある。
火曜日ソーラン、水曜日太鼓、木曜日子ども会議やっています。
「WAVE桜」と言う情報誌を私たち出版しているんですけれども、それの会議が毎週木曜日にありまして、会議と言っても遊んだりするんですけども、そこでいろんな事、普段情報交換できないことを本当に短い時間なんですけども話し合ったりして。
で、土日になると又こういう所に駆り出されて、おい来いよって言って呼び出されて行くんですけど、そういう事がたくさんあるので、僕の周りには自分から表現、表現って言うのは又ちょっと違うと思うんですけど、自分から活動していける場所がすごいたくさんあるんですね。

なんで、それは本人が見つけられるかどうかって言う問題もかなりあるんだと思うんですね。
僕の場合は大場さんが、いつも引っ張っていただいて、うちの父母なんかはいつも角が生えているんですけれども。
ただ僕はそういう場所をたくさん大場さんに提供していただいて、大場さん以外でもたくさん居るんですけれど、中村桃子さんもミニ佐倉のスタッフに誘っていただいて。
そういう場所がたくさんあるんで、人によってはもしかしたら、それをただ見落としているだけじゃないだろうか。
それが先ず一つあるんですね。

あとは、すごい、ちょっと難しい問題なんですけれども、子どもたちが、子どもと言う言い方も良くないんですけど、大人に関わらず子どもに関わらず、自分がやりたいと言って出て行ける場所を造るのも大切なんですけど、まちかどに、来ましたね!「まちかどに」それがあるといいな!
あの、何か特別に今日、今週はこれを作ってとか、今回はこれを作ってというのではなくて、本当にまちかどにそういう場所があると、何もやらなくても、大きなお金をかけなくても、それは実現するのではないか。
またそこで人のコミュニケーションが図れる、コミュニケーションが出来るので、そろそろこれをやろう、あれをやろうっていうのを、大きく練ってドカンとやって散るって言うのを、花散る感じなんですけど。

もっと一人一人に近いもの、もっと一人一人の日常に溶け込めると言うか、それが非日常である限りは、またどっかで誰かがお金出したり苦労してやらなきゃいけ無いんですよね。
それが日常化するって言うのがすごい大切だと思うんですね。
で、昔はもしかしたらそれが在ったかも知れないんですけど、今はとりあえずそれが必要な時期だと思うので、そろそろそういう方向にこの中で考えながら、そういう方向に向かえたら非常にいいまちづくりが出来るんじゃないかと。
非常に「まちづくり」「まちづくり」と連呼しているんですけども、そんな感じでございます。
有り難うございました。

(宮本 照嗣)
ステーションの特別なプログラムに参加すると言うんじゃなくて、日常の中でそういうことが出来るようなまちになるといいという。
とっても良いこと言うね!さすが!これからの未来を託す若者は頼りになると、又思ってしまいました。

先ほどまちの駅、道の駅の話が出ました、高齢化の話も出ました。
そこら辺でちょっとお話しておきますけども、21世紀の終わりには日本の人口が3分の1になる。
とんでもない高齢化になって人口が逆ピラミッドになると言うことになっています。
そのために世の中の仕組みが全部変わらなければいけない。
で、これを一番まじめに先頭で受け止めているのが、私は国土交通省だと思っています。
全国総合開発計画、三全総とか四全総とか言って、日本列島改造だとかやってきた官庁ですね。
それで進んできたけどこれからどうなるんだろって事を、一番まじめに考える、長期考えますから一番まじめに考えている官庁だと思います。
国交省の重点施策として何と「心のバリアフリー」って言葉が出てきているんですよ。
それから、「すべての人が、自立し、安心して暮らし、持てる能力を最大限に発揮できる街を目指して」と言う事を言っているんですよ。
昔の建設省がここまで来ています。

今日のお話、いろいろ話していただきました。
いわゆるまちづくりとはかなりかけ離れた世界の話をしてたんですけども、実はまちづくりに大事な、そういう意味で今一番大事になっている、高度成長のときにみんなが忘れてきたもの、捨ててしまったもの、失ったもの。
一つはコミュニケーションですし。
それから、高度成長の間にですね、人と街がとっても遠くなってしまいました。
昔は街(発言者注:地域コミュニティ)が教育機能を持っていたし、生産の場でもあったし、何でもやっていたんですね。
だけど先ほど、自分の住んでいる所と仕事をしている場所が違うと言う話も出てきましたね。
仕事の場と生活の場も変わってきてしまっている。

ですからその中で、この街は自分の街だと本当に胸を張って言える好きな街にしていくためにはどうすればいいかという事について、今日は皆さんからいろいろな話をしていただいて、それぞれ心にイメージが出来かけているんじゃないかなと思います。
佐倉市のまちづくり計画課長さんが最初にお話いただきました、「今日の話がこれから佐倉のまちづくりを進めていくための土台になればいい。」というお話しをいただきましたけど、全くそのとおりの土台になる、心の問題、理念の問題、コンセプトとも言いますけども、その話をこうやって皆さんと時間を共有してやって来れたんじゃないかと思います。

本当に今日は、皆さんからも積極的に発言いただきまして、こちら側としてはあんまり出来ない面もあったのですけれども、大変本質的なところが議論できたフォーラムになったのじゃないかと思います。
どうもありがとうございました。

(中村 桃子)
パネラーの皆さん、ありがとうございました。
会場の皆さんも、ありがとうございました。
終わりに、本日のフォーラムが佐倉市で開かれるようお骨折りいただいた、千葉まちづくりNPOフォーラム実行委員会の高木さんから、閉会の挨拶をいただきます。

【閉会の挨拶】
ちばまちづくりNPOフォーラム実行委員会
人づくり 街づくり 環境づくり 高木 晋

やっとしゃべる場ができました。
ありがとうございました。
本当はちょっと格好いいこと言おうと思って一生懸命原稿何回も書いていたんですが止めます。
その前に上で交流会やりますので、で私大事なこと忘れていまして飲み物を用意するのを忘れていたのでこれから買いにいきますけど、ぜひ4階でちょっと交流、お話いただければ。

最後に氏原さんのすばらしいお話、やっぱりそんなことを考えなくちゃいけない、それから個人のパビリオン等は私のところは2つ用意しております。
栄町に拠点を設けまして、まだ完全ではありませんが個人の個展とかそんなかたちで発表する、自慢話ではない発表。
それから今日のたつのこ村のコンテナを各団体が使ってなんか発表する。
ちょっと変わった形でそんなこと。

今日はほんとに忙しい10月23日て一番忙しい中で行政、特に県のほうから特別に市民の活動を支えて下さるような事をやっていただきまして、あの、県から竹村さんがお見えですが本当に感謝申し上げます。
また市のですね、このホールを借りるとかいろんな形で協力いただきまして、本当に皆さまのお蔭でございます。
本部の方もいろいろ助けていただきましてありがとうございました。
それから今日ここに並んだ人たち非常に熱心でこんなに佐倉を愛している人間が居るかと思ってビックリしました。

えー我々サラリーマンも頑張ってやっておりますので、今後ますます佐倉の町が良くなるようになればなと思っています。
やっぱりその核は私子どもだと思っています。
子どもを何とかうまく育つような町をつくりたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。
上の交流会にこれから飲み物買いに行ってきますので是非よろしく

(中村 桃子)
高木さんどうもありがとうございました。
また、お疲れ様でした。
これで司会の役を降りさせていただきます。
皆さまご協力ありがとうございました。

  

パネルディスカッション「まちかどフォーラムin佐倉」2004年10月23日/パネルディスカッション/TITLE>